最後の介護日記
最後の介護日記
2007年3月にベストと、おしめカバーを買っている。5月にも、一枚買っている。
この一年だったのだなー、階段を自分では降りられなくなり、お前を抱いて階段を上り下りするようになったのは、腰がいつも痛かった。
この一年だったのだなー、階段を自分では降りられなくなり、お前を抱いて階段を上り下りするようになったのは、腰がいつも痛かった。
2007年、1月 68歳
階段の前で立ち止まってしまう。降りようとそわそわするが、一歩が踏み出せない。
抱いて降りることにする。目がすっかり白濁し、何も見えないようだ。下に降りても、欅の元へ行き用を足すが、それ以上は歩こうとしない、足腰も弱り、もう散歩は無理のようだった。
抱いて降りることにする。目がすっかり白濁し、何も見えないようだ。下に降りても、欅の元へ行き用を足すが、それ以上は歩こうとしない、足腰も弱り、もう散歩は無理のようだった。
2月
下での数十メートルの散歩くらいしかしなくなったブンだが、帰りのエレベーターまでの道のり、そこから玄関までと、抱いて帰る、私の腕、腰の痛みが酷く、何か良い方法がないかと思案していて、ネットで介護用品のベストを見つける。ついでにおしめカバーも揃える。
まだまだ年ではない、ベストの取っ手にSカンを引っ掛けて歩かせる。私の腕が丁度伸ばせて、ブンも適度に腰を引き上げてもらって、散歩が出来るようになった。行きは私が抱いて、帰りはエレベーターで、あとは空中遊泳のようにして、歩いて帰ってこられるようになった。
まだまだ年ではない、ベストの取っ手にSカンを引っ掛けて歩かせる。私の腕が丁度伸ばせて、ブンも適度に腰を引き上げてもらって、散歩が出来るようになった。行きは私が抱いて、帰りはエレベーターで、あとは空中遊泳のようにして、歩いて帰ってこられるようになった。
3月69歳
もうブンは自分では歩けないからと、玄関を開けて掃除していた。そうしたら、ブンが下にいると連絡があり、行ってみると、ブンが自分で歩いている。階段は降りられないはず、誰かに降ろしてもらったとしか考えられない、
不思議なブンの快復の時があった。
不思議なブンの快復の時があった。
4月
下に降りてもおしっこ、うんちをして私が抱いて帰ってくるだけ。もう一歩も歩けない。
おしっこを時々漏らすようになり、犬用のおしめを買ってくる。サイズが合わない。買っておいたおしめカバーも使ってみるが、腰が小さくなってしまったブンには、柴犬用のサイズではどちらも合わない、小型犬用も買ってみたが、今度はおしめの用を足さない。思案の末、人の新生児用を買ってくる。カバーはサイズを縮めて使ってみる。
それでも、ゴムで引っぱっているおしめはずり落ち、おしっこが漏れてしまう。
毎日おしっことの格闘、ネットでつなぎ服のおしめカバーを見つける。小型犬用でさっそく試してみる、腰回りはピッタリ、つなぎの紐を足して、完成。
これで夜おしっこが漏れることはなくなる。
おしっこを時々漏らすようになり、犬用のおしめを買ってくる。サイズが合わない。買っておいたおしめカバーも使ってみるが、腰が小さくなってしまったブンには、柴犬用のサイズではどちらも合わない、小型犬用も買ってみたが、今度はおしめの用を足さない。思案の末、人の新生児用を買ってくる。カバーはサイズを縮めて使ってみる。
それでも、ゴムで引っぱっているおしめはずり落ち、おしっこが漏れてしまう。
毎日おしっことの格闘、ネットでつなぎ服のおしめカバーを見つける。小型犬用でさっそく試してみる、腰回りはピッタリ、つなぎの紐を足して、完成。
これで夜おしっこが漏れることはなくなる。
5月
何度か下痢をして、蒲団を汚す。尻尾と肛門が近くておしめ、カバーも役に立たない。下痢させないように食事管理を気をつける。
6月70歳
牧野さんが水道代がすごかったと言っていた。
我が家も洗濯量と回数が増えた。一度下痢されると、蒲団に、シーツに、毛布と、ジュータンは何度も水で濡らし、ふき取って、思わず怒れて叩いてしまう。
亡くなったクックのゲージをもらってくる。ブン専用のベッドと思い。寝ている間にそっと入れて寝かせるのだが、起きてしまい、出ようと動き回り、手がゲージの隙間に入ってしまい危ないと知る。翌日、ダンボールの空き箱を開いて、内張りをする。泣き疲れては眠るのだが、見ていて可愛そう。やはり一緒に寝るしかないと思う。
我が家も洗濯量と回数が増えた。一度下痢されると、蒲団に、シーツに、毛布と、ジュータンは何度も水で濡らし、ふき取って、思わず怒れて叩いてしまう。
亡くなったクックのゲージをもらってくる。ブン専用のベッドと思い。寝ている間にそっと入れて寝かせるのだが、起きてしまい、出ようと動き回り、手がゲージの隙間に入ってしまい危ないと知る。翌日、ダンボールの空き箱を開いて、内張りをする。泣き疲れては眠るのだが、見ていて可愛そう。やはり一緒に寝るしかないと思う。
7月
昼間はおしめをしないようにしてると、あちらこちらにおしっこを漏らしている。
ブンのお漏らしのため、台所をビニールクロスに張り替える。台所ならどこでおしっこしてもいいよと、すると下駄箱前でするようになる。
ブンのお漏らしのため、台所をビニールクロスに張り替える。台所ならどこでおしっこしてもいいよと、すると下駄箱前でするようになる。
8月
昼も夜も、お構いなく、お漏らしするようになり、終日おしめをするようにする。
9月 71歳
熱射病が心配で、下の狭い土の上に降ろすが、少しは歩かないと用が足せないようで、Sカンを使って、私の周りを回転散歩をさせる。毎回うんちを出すのが大変になる。
10月
散歩をしなくなった所為か、腰がやせ細り、立つのが困難になる。おしめも、カバーも又合わなくなる、
おしめ。人のおしめパットと二重にする。押しめカバー三枚目注文。
おしめ。人のおしめパットと二重にする。押しめカバー三枚目注文。
12月 72歳
ドックフードを残すようになる。
2008年1月
ドックフードぜんぜん食べなくなる。缶詰にする。それも食べづらそう。噛む力、飲み込む力が弱っている。水だけは飲ませなきゃと、スポイドで無理やり飲ます。
何も食べようとしない。
食べる意欲はあるが食べられないのだと思い。鶏のスティックをミンチにして、パンとご飯、牛乳を混ぜて手ですくって食べさせることを思いつく。そうすれば一石二丁。
よく食べ良く眠り、元気を取り戻していく。
うんち自分で出せないようなので、手で掻き出してやる。ビニール袋にオリーブ油を塗って、ブンの力みとタイミングを合わせて、出終わると、ブンはシッポをピヨピヨと振って喜ぶ。
何も食べようとしない。
食べる意欲はあるが食べられないのだと思い。鶏のスティックをミンチにして、パンとご飯、牛乳を混ぜて手ですくって食べさせることを思いつく。そうすれば一石二丁。
よく食べ良く眠り、元気を取り戻していく。
うんち自分で出せないようなので、手で掻き出してやる。ビニール袋にオリーブ油を塗って、ブンの力みとタイミングを合わせて、出終わると、ブンはシッポをピヨピヨと振って喜ぶ。
2月
歩けない身体を前足だけで引きずって歩こうとする。夜泣きをし、徘徊をする、曲がってしまったからだの所為で、同じ所を回っているのだが、何処かにぶつかると、後戻りが出来ず、泣いて助けを呼ぶ。その度に起こされ、付き合うこととなる。
天井にステンレスの自在棒を張り、ブンを吊り上げるようにしてやる、自由になった後ろ足、前足で空を飛ぶように、動き回る。
眠り薬を注文する。
天井にステンレスの自在棒を張り、ブンを吊り上げるようにしてやる、自由になった後ろ足、前足で空を飛ぶように、動き回る。
眠り薬を注文する。
3月1日 73歳
睡眠薬、規定量では効かず、痛くて眠れないのかもしれないと、歯の痛み止めを飲ます。
バファリン80錠も注文
バファリン80錠も注文
3月2日
私用のチーズに入れてこの何年もステロイドを飲ませてきたが、それも困難になり、ケーキ作り用の軟らかいチーズ変える。
3月3日
昼夜逆転しているブンは、夜は泣いてばかり、昼間も2、3時間寝ては泣く、天井からのリードでは制約があると思い、車椅子を考える。疲れれば眠るだろうと。身体の曲がったブンには、既製品は合わない。クッキーの空き缶にキャスターを付けて、手づくり車椅子。
3月4日
車椅子試乗させてみたが、ブンの身体が曲がっているためか、キャスターの重心位置が悪く、変更。何日振りかの運動、ブンは楽しそう、実際は歩こうとして歩けず、ただ動き回っているだけの、詰まらぬ事であったかもしれないが、見ている私には嬉しかった。もう一度歩いてみたいと思うブンの望みを少しでも適えてやれたと、角にぶつかり動けなくなる度、何度も直してやった。
3月5日
買い物に出るのが困難になる。
蒲団で寝ていたので、起こさないでさっと買い物をしてこようと出かけたのだが、帰ったら、ふとんの上でもがいて、シーツが唾でぐっしょりになっていた。
ゲージを嫌がるブンに、何かいい方法はないのか思案する。リードで固定しておかないと、ブンは何処かに入り込んでしまい、泣き苦しむ。思案の末、抱っこ枕を買ってきて、四方をその枕で囲み、天井から吊り下げることを考える。疲れたら抱っこ枕にもたれて寝るだろう位置に、枕を配置して。
蒲団で寝ていたので、起こさないでさっと買い物をしてこようと出かけたのだが、帰ったら、ふとんの上でもがいて、シーツが唾でぐっしょりになっていた。
ゲージを嫌がるブンに、何かいい方法はないのか思案する。リードで固定しておかないと、ブンは何処かに入り込んでしまい、泣き苦しむ。思案の末、抱っこ枕を買ってきて、四方をその枕で囲み、天井から吊り下げることを考える。疲れたら抱っこ枕にもたれて寝るだろう位置に、枕を配置して。
3月10日
仕事へ3時間ほど、ひとり抱っこ枕の中に置き出かける。帰ったら枕にもたれて寝ていた。
3月14日
朝、うんちが何時もと違う、血が固まったような硬いうんち。
3月15日
夕べも少ししか食べなかったが、本日は朝から何も食べようとしない、水も飲もうとしない。おしめをしようと立たせるが立てない。
嘉樹の誕生会、皆が来て、ブンを抱く。
嘉樹の誕生会、皆が来て、ブンを抱く。
3月16日
マグロなら食べるのではないかと買ってくるが、食べない。水だけスポイドで強制的に飲ませる。むせて吐き出してしまう。
3月17日
今日は泣いてばかり、夜になっても少し寝ては起き泣く。
am7時
エミ休み、私が眠るため交替。眠り薬と痛み止めを水に溶かし、無理やり飲ませる。
pm17時
30分置きに泣くから、身体を動かしてやっては寝かせたと、私は8時間以上眠れた。昨日は24時間一睡もしてなかったから、
立てないので、吊り上げた状態でおしっこさせる。おしめを横にした状態でやっとつける。
立てないので、吊り上げた状態でおしっこさせる。おしめを横にした状態でやっとつける。
pm20時
今日ということはないだろうが、もうブンは危ないからと、ジュンに電話する。
pm21時
ジュン来る。抱いたり、話しかけたり。
pm22時
蒲団にしばらく寝かせていたら、一声大きな泣き声がした、苦しそうだと、潤が抱き上げると、息が小さくなっている。私が受け取る。心臓に手を当てるが脈がわからない、もう駄目かもしれない、そう言った途端、首がくたんと私の腕に倒れてきた。
11時10分、ブン死亡。私が医者のように言うと、エミ、ジュン、いっせいに泣き出す。私も泣く。
11時10分、ブン死亡。私が医者のように言うと、エミ、ジュン、いっせいに泣き出す。私も泣く。
ブンが生きた歳まであと12年、そこまで生きたら、私が勝ったねと言える、人年齢、73歳
ブン、よく生きた、ガンバッタ
ブン、よく生きた、ガンバッタ
この一年のことではあったが、お前にしてみれば人の四年に相当することではあった。
人のように医者へ行こうなどとは考えはしなかった。
人のようには、何故どうしてなどと考えはしなかった。
死後の事や、残される者のことなど考えはしなかった
残っている生命で常に生きてきた。
後ろ足が駄目なら前足で、
眼が駄目なら耳で、
耳が駄目なら鼻で、
全部駄目なら泣いて、叫んで、
疲れ切って眠りが訪れるまで、
力尽きて死が訪れるまで、
人のように医者へ行こうなどとは考えはしなかった。
人のようには、何故どうしてなどと考えはしなかった。
死後の事や、残される者のことなど考えはしなかった
残っている生命で常に生きてきた。
後ろ足が駄目なら前足で、
眼が駄目なら耳で、
耳が駄目なら鼻で、
全部駄目なら泣いて、叫んで、
疲れ切って眠りが訪れるまで、
力尽きて死が訪れるまで、
ブン、よく生き、ガンバッタ。
決して不自由を受け入れることなく、
死の瞬間まで生きることを生きた。
生きるということは、決して受容、肯定、諦めなどではなく、
そのようなことは、考えに入れるものなのではなくて、
何が身体に起ころうと、
生きるということを止めないこと、
生きたいことを生きることと、
お前は私に教えてくれた。
決して不自由を受け入れることなく、
死の瞬間まで生きることを生きた。
生きるということは、決して受容、肯定、諦めなどではなく、
そのようなことは、考えに入れるものなのではなくて、
何が身体に起ころうと、
生きるということを止めないこと、
生きたいことを生きることと、
お前は私に教えてくれた。
ブン、よく生き、ガンバッタ。
やがて訪れるだろう私の死に対し、
お前から学んだこと、
忘れないよ、
ブン、ありがとう。
やがて訪れるだろう私の死に対し、
お前から学んだこと、
忘れないよ、
ブン、ありがとう。
ブンがいない
ブンがいない
三十分おき位に泣いていたブンがいない
泣く度に持ち上げ抱いた、ブンの感触がまだ腕に残っている
泣き声が、呼ぶ声が、いつもふらふらだった寝不足の頭の感じの中にまだ残る
泣く度に持ち上げ抱いた、ブンの感触がまだ腕に残っている
泣き声が、呼ぶ声が、いつもふらふらだった寝不足の頭の感じの中にまだ残る
ブンがいない
敷き放しだった蒲団は上げられ、部屋は広々とし、静かに、静かな時が流れ
こぶしの花から、桜の花へと季節は過ぎていくのに
いつでも、いつまでも、起こされず、眠れるようになったというのに
敷き放しだった蒲団は上げられ、部屋は広々とし、静かに、静かな時が流れ
こぶしの花から、桜の花へと季節は過ぎていくのに
いつでも、いつまでも、起こされず、眠れるようになったというのに
ブンがいない
自分の食事のことより、起きたら、先ずブンの食事を、脱水症にならないように、早く食べさせなきゃと
つい数日前まで、あんなに存在感をもって私を縛っていた
ブンがいない
自分の食事のことより、起きたら、先ずブンの食事を、脱水症にならないように、早く食べさせなきゃと
つい数日前まで、あんなに存在感をもって私を縛っていた
ブンがいない
見えず、聞こえず、歩けずの、寝かされ放しのブンの姿が、まだ部屋の隅のどこかに残る
家族の記憶だったブン
私に愛することを教えてくれた
生きる競争をした
私に元気を与えてくれた
生きるとはこういう事と、息子達との夢中の日々を私に見せてくれた
あのブンがいない
家族の記憶だったブン
私に愛することを教えてくれた
生きる競争をした
私に元気を与えてくれた
生きるとはこういう事と、息子達との夢中の日々を私に見せてくれた
あのブンがいない
呼べば応えるブン、いつまでも待つブン
疑うことを知らない、子どもの心のままのブン
洗濯したおむつカバー、私の作った車椅子、あと数年分のブレドニンも残っているというのに
ブンがいない
疑うことを知らない、子どもの心のままのブン
洗濯したおむつカバー、私の作った車椅子、あと数年分のブレドニンも残っているというのに
ブンがいない
けっして、千の風になどにはならないブン
いつも私の思い起こす、その時の中にいるブン
残される本、残される原稿の中、きっとブン、お前は生きていくのだよ
いつも私の思い起こす、その時の中にいるブン
残される本、残される原稿の中、きっとブン、お前は生きていくのだよ
ブンに届いた花
ブンに届いた花
眼も耳も駄目になっているブンに、会えば「ブンちゃん、ブンちゃん」と、声をかけてくれた婦人。聞きつけて、雨の中、花を買ってきてくれた。
ブン よく生きた
ブン 14年と3ケ月 人換算73歳 青年期よりアレルギーがでてステロイドを服用しながらも、よく遊び、よく食べ、よく生きた。
この一、二年は見えず、聞こえず、歩けずと、三重苦の境遇を、不幸とも思わず、ただ在ることを喜び生きた。
生涯悪い子なぞ何一つ無く、ずっとずっといい子だった。
誰に対しても分け隔てなく親しみ、誰からも可愛がられた。
生きることを生きるとはどういうことかを、おまえは身をもって示してくれた。
お前の記憶は、家族の心にしっかりと刻まれているよ。
ブン ありがとう。