続 原発震災日誌⑯
続 原発震災日誌⑯
「エミリー.ディキンスンとの対話」
貴女と巡り合ったのは偶然でした、いつも行く古本屋で、色褪せた三百円の定価のついた貴女の詩集でした、数ページ立ち読みして、探していた友人に出会えたという気がしました、家に帰る前に、喫茶店で夢中になって読みました、「死」と「孤独」とをこれほどのいとおしさで描いた人を私は今まで知りませんでした、そこに暗さや、嘆き、諦めは見つけられません、人の大切な、忘れてはならない世界であることを、繰り返し貴女は伝えていました、二年前、癌の体験をした私でした、その時の気持を、わかりあえる人と話したくて、話しては虚しくなっていた私でした―――「死」や「孤独」は一人一人が噛みしめていくものだったのですけれど―――そんな私に、貴女は百年も前、ひっそりと語ってくれていたのでした―――自然と愛と孤独とを、あとを生きる人の道しるべのように
―――もっと貴女を知りたくって、話したくって続、続々と貴女の詩集を買って来て読みました、とても楽しい時間でした、生きている気がしました、その時の気持を、もう一度ゆっくりと辿りたくって、貴女と語り合うような気持で、私からの手紙を綴ってみようと思ったのです、病後二年、この間色々感じ考えたことを、小説の世界を作ることで見つめてみようとしましたが、出来ませんでした、虚構を生きる気持にはとてもなれなかったのです―――蘇った私自身の日常や現実が、見つめる対象になった時、方法が分からなかったのです―――生きることのように書く方法、理想や、背のびではなく、私の等身大の、私が生きることのように書く方法―――貴女と対話すること、そのことを書くこと、今の私にとっては、この方法が一番楽しく、願いにかなっています―――想像を広げ、貴女が見たものを私も見、味わい、教えられ、貴女と過ごした時をこそ大切にして―――一日一篇になるか、貴女と何も話せない時があるか、それはわかりませんが、本当に友達のように、語り、書いて行きたいと思うのです、
ドイツの自然保護運動
公園の老木を切り倒させまいと、市民らが飾りを作り、ワッペン、ぬいぐるみを作り、老木に巻きつけ、取り囲み、しかし排除され切り倒される、核廃棄物処理場になる地を守ろうと、そこにみんなで村を作り、住み、歌い、しかし、ヘリが押し寄せ、警察が押し寄せ、放水し、撲り、排除し、
世界のあちこちで、こうした支配、行政への抵抗、抗議の運動が、痛みを感じる個人において行われている、世界が1パーセントの富裕層によってどころではない、10人ほどの人間によってコントロールされていると、オキュパイの非暴力革命のように、独裁にも似る世界の政治機構への、有効な個人における抵抗運動、ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ──権力に対抗するための教科書』
イデオロギーではない、人の行動原理、個人の意味、個人において為される、一人からの、自我からの行動、ここには思想の到達点がある、社会のあり方を、個人を基礎において、考え作っていくという、社会というものへの問いがある、個人の上に社会があるのではない、個人が社会を作るのだという、彼等、そのことが共有されている、木を切らないでと抵抗する私、切ろうとする社会、1パーセントの人間たち、九十九パーセントの個人の感情が抵抗する、木を植える人のようにやり続ける形、
キルケゴールを超え
絶望しても死ねない、現代という状況、死んでも死に切れないを超えた、あらゆる人の営為、思考、想像を超えた現実に対して、私は何をもって生に向かうか、向こう二百万年を支配する、善も悪も、真も美も、支配するこの現実に対してどのように対していくのか、何を真とし、何を意味とし、癌の転移を生きるような、病気で生まれてきた吾が子の、苦しみ、どうしてやることも出来ない、この悲しみ、この絶望、人として生きられないことへの、人以下の、生命そのものの吾が子が、吾が生命が、自然の奇形は、耐え難い苦痛を見舞い、核時代の想像力が、想像でも何でもなくなり、想像するという意味を失った、3.11、絶望を生きる、個を生きる、私を生きる、一人を生きる、私対世界だけが有効性を表わし、ナウシカのように、核汚染の中を人々は生きていくのだろう、そこにはそれなりのシアワセというものを人として持ち、味わい、絶滅までの時を生きていくのだろう、癌でそれまでの私は崩壊し、3.11でそれまでの日本は崩壊したのだった、私個人で再生する他ないのだった、私の癌、誰に替わってもらうわけにもいかない、癌で胃を全摘されたような福島、放射能汚染はダンピング症状、いずれ、福島が、原発があるが故に、おつりの、新しい生き方を、人は選び、生身を生き始める、私を重ねて、私の癌を通して思う、
人間とは何か
死ぬことをめざして生きている動物はいない、生きることをめざして死のリスクをとることはあるが、核、原発が、そのようにとられているのか、多少のリスクは、直ちにでなければ、といった、見えない、隠されたものへの、生きることとは、経済、飢えないことが優先で、人が死んでも、自分が死ななければと、たとえ自分が死んでも、死ぬまでのと、生きることがどういうことか分からない人間、生きたことがない彼等、
ロスチャイルド、金融マフィア、多国籍企業、独裁者、彼らの頭の中、解らないのです、それら人間のシステムもわからないのです、死の行進を続ける彼等、軍隊アリの行進のように、止めようがない、ナウシカが、虫笛というものを吹いて、制御を失ったオウムを止めていたが、彼らへの虫笛はあるのか、核戦争を想定している彼等、原発事故など、取るに足らないこととして、突き進んでいくのだろうか、核戦争が起きれば、直ちに絶望は襲うこととなるが、それでも全人類が直ちに絶滅するわけではなく、ゆっくりと、何世代かにわたって、いったいどんな方法があるのか、絶望しても尚、存在する希望とは、民主政治であるのだったら、ドイツが、イタリアが、脱原発に踏み切ったように、その流れを拡げていけばよいだけのことではあるのだが、多く、希望の人は解決は可能だと、核廃棄物も、厳重に管理って行けばと、しかし、200万年にわたる管理など、考えても、考えが及ばない時間のこと、全生命への恒常的な癌の、奇形の発生、汚染環境の中を生きる方法、シェルターの中で生きるものだけが正常で、外の人間は異形といった、チェルノブイリ、スリーマイル、原爆作家、詩人、平和、人道への犯罪告発などではない、人間への戦争への呪詛、核、原発への、呪詛こそ今、私だけが、存在への回復が困難なのか、何を書いても無力、戦争は、癌は、直接的、核は、転移は、間接、緩慢、しかし忘れることは出来ない、その奇形は、その病気は、核がもたらしたもの、前世紀の人間が起こした、取り返しのつかないこと、
私は考えるのです、この小頭症の頭で、私とは何でしょうと、この小さな頭は、太古の私の姿なのではないのかと、猿から人間へのあの始まりの姿、地球の大気が、太古に帰ったように、私も太古に帰ったのだと、
私は考えるのです、この一つ目は、洞窟に住みついた魚に、目は必要ではなくなり、無くしていったように、いずれ人は地底に住むようになり、私はその未来の人の姿なのでしょうと、
私は考えるのです、体が2つあるということは、クローン人間として、将来癌や、その他の病気になった時、片方の体から臓器を取り出し、移植するための、臓器バンクなのだろうと、
こんな想像をする以外、チェルノブイリの奇形児たちに代わって、呪詛する言葉がない、彼らには、善も悪も、罪と罰も、輪廻転生もない、アウシュビッツの300万と、この彼等の奇形と、等しい罪であることの、彼等DNAの生き証人であることの、人道への、平和への、残虐へのなどの罪ではない、万死の、人の劫罰、
時への信仰
過去、未来に頼らない、今このときに全てを位置づけ、過去未来を考えすぎて、何も出来なくなっている人、過去、未来は知らなくとも、今というときに、全てを求めるなら、夜が明ける、そのひと時の静寂、時が人間世界とは別なところで存在していると思わせる、まもなく、車、人、様々な音に溢れる、この夜明け前の一瞬の静寂、自然界にはこうした時に満ち、
日本を考えてみた
第二次大戦下の軍部、政治家、止められない戦争、負けが解っていて進めた戦争、とめられない国民に似る、原爆を落とされても、一億玉砕と、止めようとしない、結局天皇なるものが呼びかけて、止めてもらうことが出来た国、日本は世界の縮図であって、人間である日本人は世界とさほど差のあることではなく、世界の止められない原発核依存と変わらず、
世界や人を
ペシミズムで見るのか、見ないのか、宗教が根底にはペシミズムの上に、その裏返しのような天国、極楽を見ているのだった、
革命家や理想主義者が
人間を信じ、彼らが金や力でやってくるなら、我らも数と力でと、原因を見据え、解決、理想へと、
人間
歴史上に革命家はいた、英雄はいた、シーザー、ナポレオン、レーニン、ゲバラと、集団心理が生んだ理想主義
モーツアルト - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)Ⅹ
モーツアルト - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)Ⅹ
作品
詳細は「モーツァルトの楽曲一覧」を参照
作品総数は断片も含め900曲以上に及ぶ。作品はあらゆるジャンルにわたり、声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽、歌曲など)と器楽曲(交響曲、協奏曲、室内楽曲、クラヴィーアソナタなど)のどちらにも多数の作品が残されている。
作品を識別するには、音楽家のルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが分類した作曲順の目録であるケッヘル番号(K.+数字)が使われる[28]。モーツァルト自身は1784年以降に自作の作品目録を付けている。1784年より前の作品やモーツァルト自身の作品目録に載っていない作品には、作曲の時期がはっきりしないものもある。
代表的な作品
オペラ:『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)』、『魔笛』
宗教音楽:大ミサ曲、レクイエム、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』
交響曲:第25番、第35番『ハフナー』、第36番『リンツ』、第38番『プラハ』、第39番、第40番、第41番『ジュピター』
セレナード:『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』、『セレナータ・ノットゥルナ』
ピアノ協奏曲:第20番、第21番、第23番、第24番、第26番、第27番
ヴァイオリン協奏曲:第3番、第5番『トルコ風』
管楽器のための協奏曲:クラリネット協奏曲、フルート協奏曲第1番、オーボエ協奏曲
弦楽四重奏曲:ハイドン・セット、ディヴェルティメント K.136
弦楽五重奏曲:第3番、第4番
その他室内楽曲:クラリネット五重奏曲
ピアノソナタ:第11番『トルコ行進曲付き』
宗教音楽:大ミサ曲、レクイエム、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』
交響曲:第25番、第35番『ハフナー』、第36番『リンツ』、第38番『プラハ』、第39番、第40番、第41番『ジュピター』
セレナード:『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』、『セレナータ・ノットゥルナ』
ピアノ協奏曲:第20番、第21番、第23番、第24番、第26番、第27番
ヴァイオリン協奏曲:第3番、第5番『トルコ風』
管楽器のための協奏曲:クラリネット協奏曲、フルート協奏曲第1番、オーボエ協奏曲
弦楽四重奏曲:ハイドン・セット、ディヴェルティメント K.136
弦楽五重奏曲:第3番、第4番
その他室内楽曲:クラリネット五重奏曲
ピアノソナタ:第11番『トルコ行進曲付き』
モーツァルト:歌劇「イドメネオ」/ピアノ協奏曲第23番/ピアノ五重奏曲 K. 452 (ヒューストン/オークランド・フィル/グッドマン)
MOZART, W.A.: Idomeneo / Piano Concerto No. 23 / Piano Quintet, K. 452 (Houstoun, Auckland Philharmonia, Goodman)このページのURL
モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調/コンチェルトーネ ハ長調 K. 190 (ハジェット/ポートランド・バロック・オーケストラ)
MOZART, W.A.: Sinfonia concertante in E-Flat Major, K. 364 / Concertone in C Major, K. 190 (Huggett)このページのURL
モーツァルト:協奏的大七重奏曲/弦楽五重奏曲第2番/ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K. 423 (ウプサラ・チェンバー・ソロイスツ)
MOZART, W.A.: Grande Sestetto Concertante / String Quintet No. 2 / Duo for Violin and Viola in G Major, K. 423 (Uppsala Chamber Soloists)このページのURL
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調(ヴィオラと管弦楽編)/クラリネット五重奏曲 イ長調(ヴィオラ編)(トムテル/ノルウェー室内管/エンゲゴール)
MOZART, W.A.: Clarinet Concerto in A Major (arr. for viola and orchestra) / Clarinet Quintet in A Major (arr. J. Andre) (Tomter)このページのURL
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K. 622/シャハト:クラリネット協奏曲 変ロ長調(ミュンシュ/シュレーダー)
MOZART, W.A.: Clarinet Concerto in A Major, K. 622 / SCHACHT, T.F. von: Clarinet Concerto in B-Flat Major (Meisterkonzerte, Vol. 7) (Munch, Schroder)このページのURL
モーツァルト:声楽&室内楽作品集(ジャカン男爵家での夕べ、1787年4月24日)(ピオー/ガバユ/カトン/トーメ/ハルモニー・ボエミエンヌ)
MOZART, W.A.: Vocal and Chamber Works (Une Soiree chez les Jacquin) (Piau, Gabail, Caton, Thome, Harmonie Bohemienne)このページのURL
モーツァルト:セレナード第6番/カッサシオン K. 63/コンチェルトーネ K. 190 (アンサンブル415)
MOZART, W.A.: Serenade No. 6 / Cassation, K. 63 / Concertone, K. 190 (Ensemble 415)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第1番 - 第4番(ツィッターバルト)
MOZART, W.A.: Piano Concertos Nos. 1-4 (Zitterbart, Schlierbacher Chamber Orchestra, Fey)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第5番, 第6番, 第8番(グレイルザンマー)
MOZART: Piano Concertos Nos. 5, 6 and 8このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番, 第19番(ハスキル/シューリヒト)(1952/1956)
MOZART: Piano Concertos Nos. 9 and 19 (1952 / 1956)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番(ブレンデル)/ 第17番(グルダ)/第20番, 第24番(マシューズ)
MOZART: Piano Concertos Nos. 9, 17, 24 and 20このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第1番, 第21番, 第25番(ハン/フィルハーモニア管/フリーマン)
MOZART, W.A.: Piano Concertos Nos. 1, 21 and 25 (Derek Han, Philharmonia Orchestra, Freeman)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番, 第27番(ウィーン響/ブッフビンダー)
MOZART: Piano Concertos Nos. 26-27このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲全集(バレンボイム/イギリス室内管)
MOZART, W.A.: Piano Concertos (Complete)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲全集(エンゲル)
MOZART, W.A.: Piano Concertos (Complete) (K. Engel)このページのURL
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲/フルート協奏曲第1番, 第2番/フルート四重奏曲
MOZART: Concerto for Flute and Harp in C Major / Flute Concertos Nos. 1 and 2 / Flute QuartetsこのページのURL
モーツァルト:ホルン協奏曲全集(ナチュラ・ルホルン)(モントゴメリー/エイジ・オブ・インライトゥメント管/フォートレス)
MOZART, W.A.: Horn Concertos (Complete) (R. Montgomery, Orchestra of the Age of Enlightenment, Faultless)このページのURL
モーツァルト:ホルン協奏曲全集(タックウェル/フィルハーモニア管)
MOZART, W.A.: Horn Concertos (Complete) (Tuckwell, Philharmonia Orchestra)続 原発震災日誌⑮
続 原発震災日誌⑮
夢を見た
産業道路を渡って、薄暗い、昔あった浜町の街を歩いていた、節電のためどこも暗くなっていた、その昔、川崎の地にやって来て、こんな汚い、うらぶれた町があるのだと、道は複雑に絡み合い、家はひしめき合い、公害で家々のトタンは錆び、ペンキは剥がれて赤茶け、その町に入ると、とたんに喉がざらつき、目は痛んだ、が、そんな町でも人は活気に溢れ商売に励んでいた、
またヤクザに追われている感じだった、川崎の街は、南町、堀の内と、ネオン街、ヤクザが蠢く、得体の知れない所があり、そこでまた道に迷ってしまったのだ、突き当りが宴会場になっていて、そこを通らないと抜けられないように道を塞いでいるのだった、仕方がないから入ったのだが、何か料理を注文しなければならないようで、私はそっと窓から靴を下ろしてとび降りた、道に出たのだが、そこがまた先ほど来た、浜町の通りで、ヤクザが縄張りとしているところだった、重いスモッグが垂れ込め、目が痛くなった、そこを進んでいくと、先をヤクザ連中が歩いていた、下り坂になった一本の道の真ん中に、ドロドロに熔け表面は黒くブスブスになった炉があり、これが金より価値があるのだとヤクザの頭のような男が自慢していた、ロープのようなものを使ってそこを飛び超えるのだが、私はそのブスブス音がして熔けているものを見て、咄嗟、これはメルトダウンした核燃料だと思った、こんな所に染み出していたのだと、そこえ、声が飛んで来た「早く渡れ、死ぬぞ」と男が叫んだ、近付いて見ると「飛ぶのが遅れて、放射能を浴びて死んだやつがいる」などと喋っていた、
夢分析
グーグルアースで双葉町から釜石まで、詳細に見て過ごした昨日の消えた町の光景が忘れられず、またチェルノブイリの写真を見て詩にしていて、それらが夢に出てきて、ヤクザのもつ邪悪と無知のような支配構造が、日本や世界を覆っていると感じて、人間のおろかさの象徴としてヤクザが度々出てくるのか、貧困層出身の彼等、裏社会で安易に金と権力が手に入る道を選び、それが核燃料という世界と渡り合える物質を手に入れ、テロをちらつかせ、いずれ彼らによって世界は支配、統治されていくのだと、数日来、世界は核に象徴される、リベート、ワイロ、闇取引で成立した、陰謀の歴史ではないのかとの思いがあつて、
終末論
終末論について考えてみた、かつてSさんや誰かが、半ば信じているように、ノストラダムスの予言などのことを言っていたが、私は考えに入れたことも無かった、それが、3.11以降、原発と核、そしてテロの問題が集約される形で、終末が本当に訪れる危機感を感じるのだった、世界の核処理施設のプルトニウムが飛散すれば、遠くない時期に、全生命は死に絶える、虚無に取り巻かれ、劣悪を生きる人間にはテロを選ぶ者がいるだろうし、でなくとも430基の原発に、地震や天災が襲い掛かるだろうし、終末観が、今ほど現実性を帯びていることはないのだった、そこでの生命の構築、文化、芸術、などではなかった、一個の生命としての感性だけ、知識、理性への指向など、そこにはないのだった、植物の、動物の、生命そのものの指向だけなのだった、喰い、寝るだけの人生、時に一瞬訪れる満たされた感情がそこにはあるばかりだった、
森有正とエミリーディキンソン
理解には集中と深い思索が必要であった、彼ら、世界の不条理に対し、贖うことなく実存することで答え、多く人間は自ら不条理を作り出し、自らの首をしめているような、新しき人とは先ずこの世界の不条理への理解があって、後に生と死の融合世界のような、時間世界を生きる、今在ることを喜ぶ、シンプルな開かれた心の持ち主となった人の誕生のことをいうのだが、新しき人とは、理性の上に築かれた人のことではないのだが、
森有正と生きた時間、
存在というものへ、美というもの、理性というものへ、神聖な感情を味わった、有正の深いヨーロッパへの理解が背景にあってのことだったが、人類の文明というもの、精神、というものへの肯定、憧憬、しあわせな時の体験、この世界の絶望の中にあって、あの体験は有効であるのだろうか、世界がどのようであっても、私と文明、私と存在という関係性で、有正を辿ってみなければ、
「森有正との対話」
愛
「愛はそのもの自体としては存在しない、しかし、だからと言って、愛が存在するすべてのものよりも強いことに変わりはない、死についても同じ事が言える、死は存在しない、が、それが我々の存在にとって本質的であることに変わりはない、愛することと死ぬこと、この生の二面が、恐るべきある瞬間に合体する、愛は死を鎮め、また、死がなければ愛には何の意味もない」
芸術の中で、人の歴史の中で多く愛は死に打ち勝つ形で存在を許されてきた、それらは、人としての心を覚醒させ、生きることの勇気と希望を与え、が、生身のこの日常の私にあって、先送りされている死のように、愛は変化し、時に色あせ、見失いもする、私において愛とは、人や世界と比べてのものではなく、この生身において、この日々の、この瞬間において成就していく所のもの、
死に打ち勝つ愛の肯定を言っている
意思
「それはただ感覚の迷妄として片づけてしまうことが出来るであろうか、デカルトははっきりと片づけた、それはかれが、完全に自己を、未終了の感覚の印象に向かって、注意深く対立させることができたことを示している、意志は自我を中心とすることの正反対である、真実の意志は、死の瞬間に現れる、肝要なのは、経験における意志の重要性を明確にすることだ」
青年期、実現したい理想や、希望は社会的、政治的な行動にむけて生きていた、主体性や、情熱的という感覚は喜びだった、壮年期、個我の発露としての生き方に変わった、いま時を経て、それは指向性というような、植物たちが持つ向日性にも似た私の生の要求となっている、植物たちが光に向かうように、私は死ぬその時まで、どこまでも個我に向かって突き進もうとしている、
死に臨んでも尚、意思を堅持する、ソクラテスの意思への
蘇る、有正と過ごした時間、感情が、言葉が、搾り出された有正の心が、聖と俗、原発の俗に対し、精神の聖、人間という、思索する動物としての優越、本質の理解、絶望をも思索の対象として捉えていく精神というもの、自我や、理性、観念という分別ではなく、精神という、心という感情の優位、原発も、戦争も、超越していく、
疑い
「疑いの精神というものは、人間経験が内面的に完結しているものであると考えるのと全く同じことなのです」
疑いの精神を持つということは、断絶が体験されていないと持てない、人は多くの信じるものと繋がって生きている、が、その信じてきたものからの切断があって初めて、疑いが現実のものとなる、そして、そこから新しい生き方も始まる、
デカルト的私が、私に誕生したのは、小学四年の夏だと言える、父が養護施設に行かないのなら、ここで池に一緒に飛び込んで死のうと愚図っている私を抱き上げた、本当に飛び込むかもしれないと、死の恐怖が襲った時、私は泣いて、行くことを受け入れた、父とは違う、私の生命は、私が守って行かねばと、こうして培ってきた私が、疑う精神とは、どのようなものなのか、疑いをも私の所有として肯定してきた、この所有が断たれる事によって生まれるものが、私の疑いではある、世界の欺瞞、人間そのものへ、私で所有出来ている限り懐疑はないのだと、
続 原発震災日誌⑭
続 原発震災日誌⑭
人生は時間ではない、と同じように、人生は知識の豊かさでもない、と現象学的に証明もされよう、しかし、人はこの精神の縄張りから出られない、掟のように、真理を、幸福とを追い求め、人の、世界の、自然の支配、利益の追求も、これが為、
癌患者にはわかる
風ってわかる?、一日ってわかる?、草や木ってわかる?と、どのようにわかるの、気持ちが良いの、生きてるということが、同じ生きものということが、これらが、誰のものでもない、私という出来事において感じられていることが、私というものが、私のものであることが、嫌というほど感じられるの、と、この私が幾日後かには無くなる、としても、今ある私がうれしい、私は私を抱いてやるの、
と生きている癌患者の感情と、日常という、こうした癌患者の感情など考えたことも、まして体験したこともない人々の、日常というものの持つ非人間的なるもの、日常が人間的で、病者は非日常のものとする感情、病者の中にこそある人間的なる感情が、共感され、学ばれることのない日常というもの、日常というものを疑ってこなかった、癌を体験してきたのにもかかわらず、原発という、核戦争という、種の滅亡につながる、核という、戦争という非日常の中にこそある、非人間的なる感情、人が人を殺すという行為の中にある、人間でしかありえない感情の、一日ってわかる?、食べるってわかる?、寝るってわかる?、というよみがえる日常というもの、日常とは、非日常の理解があって成立していくのであった、
幸福の追求が、価値の追求が、この人間的な人間的でしかありえない感情への追求でなければ、2×2が4を超えるものがこの感情、あまりに人間的な感情、非日常の持続された感情が、非日常を生きるものにはあるのだった、今まさに、3.11は核の脅威は、人にこの非日常を持続させる、
絶望と無を見つめながら、私は希望を又は虚無を、と、絶望でも何でもない理想を探っている、時がそうさせるのか、生身の私がそれを願うのか、
私の所有でもないこの地球の未来を何故憂うのか、
私の家族でもない、地球人の未来を何故に憂うのか、
何故私は人と人が理解しあい、共感できるものとの感情を持つのか
これら、私の意識の形成過程を考えなければ、
絶望を真に捉えたいとするなら、絶望の上に身を置くというなら、絶望の現実も、無意味、絶望にも、意味や希望があるなどと、絶望を意味化するなど、絶望とは絶望であるのだった、人間は何故愛し合うのかだって、絶望から、死から、私対世界で私において捉えなければ、
癌の転移があって、将来のことなど考えられない、世界滅亡の危機の中にあって、真理など追究しておられない、こうした私、世界を絶望と捉えるのか、自明、必然、自然と捉え、死ぬまで、絶滅するまでに遣っておきたい10のことをするしかないのか、
「共感の探求」
今、私はこの一年間考え続けてきたことを、書くことで深めてみようとしている、それは一つの結論や、作品世界を提出する試みではなく、過ぎ去った体験を、体験した私において考えてみるという形において、いづれ書くだろう小説の可能性と説明において、書き表せなかったことにおいて意味を持つ、私のテーマにおいて、
「共感の発見」
笠間行、田んぼ道「誰もいないね、二人きりね、田舎に来てるみたい」、魯山人の家「疲れた?、ちょっとこの庭で横にならせてもらったら」、風、汗、笑顔「元気になった?今度はどこへ行く?」、畑中の画廊喫茶「ご主人が亡くなられたんだった、見てあの絵、いいわねえ」、雑木林、陶芸団地、夕暮れ、煙、
柿田川、白鷲のコロニー「来て、見て、見て」小声で、足を忍ばせ、林を抜けると、そこは山水画の世界、流れる水の中に、三島バイカモ「わあー、裸足になって、水に入りたい、なんてきれいな水」、トンボ「この子、足にとまって動かないのよ、ちっとも人を恐れていないの」、花キャベツ、黙って畑の中へ入って行って、手招いて、「この色見て、虹の花みたい」、靴にビニール袋を被せて、湿地をズンズンと、「もっと下流へ行ってみない?」、小学校の裏庭が川で、鮎を釣る子供たち、
常滑、瓦屋根と、黒壁の街、「墨だろうか」「潮風よけかねえ」水琴窟「聞こえる?、いい音でしょう」、火遊びの煙突「火を遊ばせる為だって、素晴らしいデザインだわ」、土管の坂道「鱗みたい、雨が降ったらきれいだろうな」イナックスの廃窯、「涙が出るほどきれい、此処でコンサート聴いたら」、土と火の出会い、赤に、緑、黒、触媒に使われた塩が変化し、宝石のよう、笠間が、柿田川が、常滑が、なぜに私に印象深いのか?、他人にとって何でもない会話、景色が、四年振りの旅行、元気になった私、もう心配の要らない日常、妹の幸せ、義妹とも始めての旅行、君の、義兄の喜びが、私へ、言葉、しぐさとなって、間違っていたら、こんな時は過ごせなかったかもしれないという、私の病気がきっかけとして、君や、義兄の日常が、奇跡的存在となって、街中にぽっかりと出現した別世界のように、水、木、空、光、私は、私の存在を、何より喜んでくれている、君と、君の兄の喜びを、私への共感として、初めて出会った世界のように、私の網膜に焼き付けられて、私自身を発見したように、
こうした発見された私が、今、人間の顔をした、反人間たちによって、冒され、引き返せない、取り返せない、無意味、罪を、生理的、直感的に感じた者が、何とかしなければと、自責、有責性のもとに声を上げ始めているのだが、もったいないという観念は崩れ、放射能入り米は、魚は、肉は、今や毒物となり、
東北の我慢強さのおしんは、福島には住めずブラブラ病となり、
町の清掃、海山の清掃のボランティア、放射能のゴミは、今や地下10センチに染込み、清掃は意味を失い、
絆は、今や集団自決と同じ締め付けとなり、子どもたちは、少年突撃隊、女はひめゆり部隊に似、
政府、マスコミは大本営となり、全滅を転戦と言い繕ったように、燃え続けている原子炉を冷温停止と嘯き、
一人一人の組織の人間は、上官の命令は朕の命令と、私は貝になりたいと、処刑された兵士のように、
取り上げれば、川柳のようにいくらでも見つかる価値の崩壊、これらの価値とは、貼りボテであったということ、そんな国で、新たな価値が、意味が生まれるのかと、また必要なのかと、クレージー、ゆでガエルでいいのではないのか、彼等、太く短く、人生に特別な意味など求めてはいないのだからと、それでも救いたいとした、宗教者、思想家たち、自らの死をも超えて、人の絶対矛盾をも超えて、彼らへの解かりやすい教えを説き、
やはり、人は私で超えていく方法しかないのだった、悟り、覚悟の、個人における方法でしか、末法思想も、終末思想も、すべて現実のものとなり、人類は遠くない時期、ゆっくりと絶滅に向かっていくのだから、核は、大気圏という中に、いくらどのように封じ込めようとも、それらは大気中にあり、地震、地殻変動に曝され、いつの日か大気と混ざり、生物の遺伝子の毀損をしていくのだから、
ポール・フスコの写真
チェルノブイリ石棺、棺桶と呼ぶには、死者への敬意もない、トタン葺きの、ブロックを継ぎたしただけの、けして核は死んでなどいない、象の足を襤褸で覆っただけの、地上で一番みすぼらしい建物、200万年の時を生きる核には、どんな衣装も役立たずだが、せめて100年位持つ物を、
捨てられた町
もったいない事など何も無いのだった、全ては放射性廃棄物に変わってしまったのだ、草も木も土も、
死を生きる人
保障も無く、仕事も無く、捨てられた人々、汚染の地に、朽ちるように生き、
遺伝子異常
手が、足が、頭が、証人、語り部となって、刻印された遺伝子は、元には戻らない、変容を絶滅のその時まで伝え、
モーツアルト - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)Ⅸ
モーツアルト - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)Ⅸ
葬儀と墓
葬儀の日取りは「12月6日説」と「12月7日説」の2つがある[24]。遺体はウィーン郊外のサンクト・マルクス墓地の共同墓穴に埋葬された。誰も霊柩車に同行することを許されなかったため、実際に埋葬された位置は不明である[25]。
没後100年の1891年、中央墓地(ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスら著名音楽家が多数眠る墓地)に当時サンクト・マルクス墓地にあった「モーツァルトの墓とされるもの」が記念碑として移動した際、またもや位置が分からなくなってしまった。現在サンクト・マルクス墓地にある「モーツァルトの墓とされるもの」は、移転後に墓地の看守が打ち捨てられた他人の墓の一部などを拾い集めて適当な場所に適当に作ったものである[26]。なお、サンクト・マルクス墓地は1874年に新たな中央墓地が建設されたことをもって新規の受け入れを停止している。ヨハン・シュトラウス2世の弟ヨーゼフ・シュトラウスも最初はここに埋葬されていた(1909年に中央墓地に移設)。
現在、国際モーツァルテウム財団(ザルツブルク)にはモーツァルトのものとされる頭蓋骨が保管されている。頭蓋骨に記された由来によれば埋葬後10年目にモーツァルトを埋葬した墓地は再利用のため整理され、遺骨は散逸し、頭蓋骨だけが保管され、以来複数の所有者の手を経て1902年に同財団によって収蔵された。遺骨の真贋についてはその存在が知られた当初から否定的な見方が多いが、2004年にウィーン医科大学の研究チームがモーツァルトの父・レオポルドほか親族の遺骨の発掘許可を得て、問題の頭蓋骨とのDNA鑑定を行ったが[27]、検査の結果、頭蓋骨は伯母、姪の遺骨のいずれとも縁戚関係を認められなかったが、伯母と姪とされる遺骨同士もまた縁戚関係にないことが判明し、遺骨をめぐる謎は解決されなかった。
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モーツァルト:モーツァルトとザルツブルグ民謡(トビアス・ライザー・アンサンブル)
MOZART: Mozart und die Salzburger VolksmusikこのページのURL
モーツァルト:レクイエム/アヴェ・ヴェルム・コルプス/フリーメイソンのための葬送音楽(ケルン室内合唱団/コレギウム・カルトゥシアヌム/ノイマン)
MOZART, W.A.: Requiem / Ave verum corpus / Maurerische Trauermusik (Neumann)このページのURL
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番, 第18番(ニコルソン/カペラ・コロニエンシス/クレーマー)
MOZART, W.A.: Piano Concertos Nos. 12 and 18 (Nicholson, Cappella Coloniensis, Kraemer)このページのURL
モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K. 364 (ボベスコ/カッポーネ/リステンパルト)
MOZART, W.A.: Sinfonia concertante in E-Flat Major, K. 364 (Bobesco, Cappone, Ristenpart)このページのURL
モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲集 K. 242 and 365 (ウズィエル)
MOZART, W.A.: Concertos for 2 Pianos, K. 242 and 365 (Ouziel)このページのURL
モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲(ギールス/ヘルツォーク/ローマイヤー/シュトゥットガルト放送響/ミュラー=クライ)
MOZART, W.A.: Concerto for 3 Pianos, "Lodron" (Gierth, G. Herzog, G. Lohmeyer, Stuttgart Radio Symphony, Muller-Kray)このページのURL
モーツァルト:4手ピアノのためのソナタ K. 19d/10の変奏曲 K. 455/ピアノ三重奏曲第2番/ピアノ協奏曲第26番(シャモレル/アンダローロ/キム)
MOZART, W.A.: Sonata for Piano 4-Hands, K. 19d / 10 Variations, K. 455 / Piano Trio No. 2 / Piano Concerto No. 26 (Chamorel, Andaloro, Sunwook Kim)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番, 第2番, 第3番(ショルツ/ベルリン室内管)
MOZART, W.A.: Violin Concertos Nos. 1, 2 and 3 (K. Scholz, Berlin Chamber Orchestra)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 - 第5番/アダージョ K. 261/ロンド K. 373 (グッリ/パドヴァ・ヴェネト管/ジュランナ)
MOZART, W.A.: Violin Concertos Nos. 1-5 / Adagio, K. 261 / Rondos, K. 269 and K. 373 (Gulli, Padova e del Veneto Orchestra, Giuranna)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第2番, 第3番, 第5番(レーピン/ウィーン室内管/メニューイン)
MOZART, W.A.: Violin Concertos Nos. 2, 3 and 5 (Repin, Vienna Chamber Orchestra, Menuhin)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番, 第4番, 第5番(イルンベルガー)
MOZART, W.A.: Violin Concertos Nos. 3, 4 and 5 (Spirit of Europe) (Irnberger)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番/R. シュトラウス:家庭交響曲(ズーカーマン/ベルリン・ドイツ響/アシュケナージ)
MOZART, W.A.: Violin Concerto No. 5 / STRAUSS, R.: Symphonia domestica (Zukerman, Deutsches Symphonie-Orchester Berlin, Ashkenazy)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集(ツェートマイアー/フィルハーモニア管)
MOZART, W.A.: Violin Concertos (Zehetmair, Philharmonia Orchestra)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集/アダージョ/ロンド(シェルツ/ベルリン室内管)
MOZART, W.A.: Violin Concertos Nos. 1-5 / Adagio / Rondos (Scholz, Berlin Chamber Orchestra)このページのURL
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲/エルガー:ヴァイオリン・ソナタ/他(サモンズ)(1926-1935)
MOZART: Sinfonia Concertante / ELGAR: Violin Sonata (Sammons) (1926-1935)このページのURL
モーツァルト:オーボエ協奏曲/フルート協奏曲第2番(ホリガー/ニコレ/シュトゥットガルト放送響/ミュラー=クライ)
MOZART, W.A.: Oboe Concerto / Flute Concerto No. 2 (Holliger, Nicolet, Stuttgart Radio Symphony, Muller-Kray)続 原発震災日誌⑬
続 原発震災日誌⑬
罪と罰の問題
3.11以前、キリスト教の説く罪と罰が受け入れ難かった、今もそれはあるが、3.11を経て、罪はある、犯した、免れないとの認識は持つ、生きものに対し、未来に対し、アダムとイブの原罪ではなく、私が犯した罪として、核の汚染、罪ではなく、失敗、必要悪、リスク、連帯責任と捉えるのか、私の罪とみるのか、文学が、哲学が、生き方を問うとき、エゴ、利己、欲望を問題としてきた、罪はこの私の生存のうちに付随している、生存それ自体が罪なのだから、原発、核など、自業自得、もはや、何も問う必要も、悩むこともないのだと、私の罪が、今ほど無化されて、やはりあらゆる人の営為が意味を失ったと思える、私の罪が、この未来に対する現在の罪が、瑣末にさせた、核一発で、原発事故一回で、顕在化する罪、
堂々巡りの思索、何度繰り返していることだろう、もう、はっきりと私を無の上に据えているのだから、そこからの思索だけで良いのだが、何故に全くの無関心が取れないのか、「エミコが七十までは生きてもらいたいと、何かの折に言った、エッ、七十でいいの、あと五年だよ、五十位で居なくなるんじゃないかと思ってきたから、あれからもう二十五年も生きたのだから、と」おつりで生きているのだった、この私が考えていく、絶望と無とは、回想、記憶、現在という時の実存化、
お宮参り
春の長雨がやっとあがって、蒸した土や花の匂いが庭一面に立ち昇る長閑な妻の田舎であった、その日も私は物憂げに縁側の陽だまりに座り、丹精に育てられた庭の躑躅を見るとはなしに見ていた、
「あなた、後悔してるんでしょう」
妻が知らぬ間に来ていた、
「何を?」
私は躑躅から目を離すと妻の顔を見上げた、
「仕事のことよ」
妻は瞳を凝らして私を見据えていた、
私は妻がお産で田舎に帰っている間に、無断で仕事を辞めた、
「いや、別に」
私は咄嗟に語気を強めて言った、
「でも毎日憂鬱そうじゃない」
「あなたには解らないことだよ」
「―――」
私はまた庭先に目を落とした、
蜜蜂が一匹うるさく花間を飛び交っていた、
妻は私の突然の行動にある種の危機感を持っていた、さほど貯えがあるわけではないし、
まして子どもが生まれたときにあたって無責任だと責めた、
「きょうは、お宮参りに行くからね」
しばらくしてから、妻は私の物憂げさを穿鑿することなく言い置いた、
反抗的、直感的、実存的、を探ること、汚染の地球にナウシカのような、否、男の、絶望の中でも、生命ある限りは、種が絶滅しない限りは、ロマンを持った人間像を、私のツァラトゥストラの不条理を条理とする、矛盾を存在とする、理性と感性の統一、科学と文学の統一的人間像の創出、人は愛のもとに、連帯のもとに死ねる、優しく死ねる、託して死ねる姿を、
人類消滅後にも地球は存在する、このことは万人が認めるが故に、地球は存在するのであった、神の存在とは、人類全てが確認しているものではない、存在を感じている者に於いて存在しているもの、よって人類消滅後には神が存在すると確認できないのであった、神とは観念の証明であって、実在するものの証明ではないのだった、1+1=2とは存在という物ではなく、数学という観念でしかないのだった、人が居なくなれば消えるものであるのだった、人類消滅が信じられれば、神は消滅する、原発とは、神はもとより、人類、多くの生物をも消滅させるものであるのだった、
何でもないようなことが輝いて見えた、あの新婚の時の、結婚したことの、好かれ、信頼されることの、そして子どもができ、間もなく産まれてくることの、
予定日も過ぎ、間もなく産まれるのではないかと、仕事を何とか勤め上げ、辞めることを決めて、妻の実家に行ったのだった、政治活動を求めて、入った団体の仕事だった、それを子どもの誕生を機に辞めることにしたのだった、子どもとの、家庭というものの、味わいが、政治活動というものより上まわっていた、働いた後にある家庭というものの味わい、養護施設で育ち、味わいの少なかった家庭の喜びというものが、裏切り者との後ろめたさ、思想の変節という敗北感、エゴイズムという意識、労働者となることの不安、etc、etcの感情を、乗りこえさせてくれる気がしていた、何より妻や、妻の実家の家族、兄弟が、私の行動を口にすることなく、何事もないことのように見守ってくれた、これから、どんな仕事に就くのか、これからの生き方、考え方をどう作っていくのか、何も見えなかったが、自由になった、政治活動から、何になってもいい、文学はどんな状況においても追求していく、十六才から二十六才の十年間の活動人生だった、今新たなスタートにたったのだと、私は後悔したり、悩んだり、青年の日の、あの憂鬱が又戻りはしないかとの不安を抱えながらも、癒されていたのだった、
小春日和の、長閑な午後、
なかなか陣痛が起きない妻に、私は時間をもて余していた、近くの観音さまへ散歩に行くことにした、
「叔母さんたちどこに行くの?」
幼稚園から帰って来た姪が聞いてきた、
「小山の観音様」
リッツちゃんも来る?」
二人の中に入ることが何か恥ずかしいことのように、リツコは一瞬ためらったが、頷いていた、妻は私と二人だけで、時に気が重くなったりすることを嫌がっていたのだった、道々、盛んにリツコとおしゃべりに興じていた、私はそんな二人を見ていて心がほころんだ、桜は未だだったが、早い草木は新芽を出し始め、この季節の中へ私と妻の子が誕生してくるのだ、数年もすれば 、リツコのような子どもに、私の二人を見つめる穏やかな表情を見て、妻が「リッツちゃん歌うたおうか」と、結婚するまで、歌声活動をしていた妻は、歌うことに何の屈託もなかった、
「何唄う?」
「おじいさんの古時計」
「いくよ、サン、ハイ」
「オジイサンノ、----」
実家での、家族に見守られての出産、妻の安心し切った、喜びに満ちた心が、歌う声に表れているのか、美しい響きを持って雑木林の中にこだました、
世界は依存関係で成立
植物、動物たちの共存とは、人間世界に置き換えたなら、協力会社、共存共栄のように、また一人一人の人間関係においても、親子のように、地域の商店街のように、文学、芸術においても、作者と出版社、画商のように、依存、競争、支配と、エゴイズム、人のあらゆる側面がそこにはあるのだが、大きな関係、構造は、国家、社会構造に似る、網の目のような、上から下、縦横と、依存の構造、資本主義と表さなくとも、社会主義と言わなくとも、そこにあるのは依存、共存の構造、宗教、文化、芸術の神、真理、善、悪の追究といえど、アイディンティテーという心の依存の関係、この依存の関係は、生物の宿命、原発に依存している個人とは、原発会社で働いている者、原発以外産業がないとして、原発依存の地方自治体のような、奴隷社会の鎖と同じ、資本のシステム、
かつて、十六歳の心に、共産党宣言、猿が人間になるについての労働の役割、空想から科学へ、なにをなすべきか、民族自決権について、弁証法的唯物論、賃労働と資本、国家と革命、家族、私有財産および国家の起源、資本論、実践論矛盾論と、世界の仕組みを知りたかった、そして変えたかった、夢中で読んだその頃の記憶が新鮮によみがえる、文学、芸術も、近代、自我の確立をと、基本的には世界の構造は変わっていない、そして変える方法も、しかし、決定的に変わってしまったことが、種の絶滅という、核の出現であった、人間が、システム、技術、科学、進歩という近代というものに、価値と幻想を持つがために発生している問題であった、
原子力に反対する100の理由 #61 花崗岩層の亀裂
原子力に反対する100の理由 #61 花崗岩層の亀裂
核廃棄物の処分には、花崗岩層でさえ動きすぎる。
これまで世界中で最も先駆的と見なされてきたスウェーデンの最終処分場のコンセプトでさえ、言葉通り「脆い」ものだと証明された。160 万年前から安定していると言われてきた原成岩においても、地質学者は地震の跡を検出した。過去1万年間にここでは58回の地震があり、うち最高がマグニチュード8に達している。幸運なことに、そのときにはまだ核廃棄物は投棄されていなかった。
これまで世界中で最も先駆的と見なされてきたスウェーデンの最終処分場のコンセプトでさえ、言葉通り「脆い」ものだと証明された。160 万年前から安定していると言われてきた原成岩においても、地質学者は地震の跡を検出した。過去1万年間にここでは58回の地震があり、うち最高がマグニチュード8に達している。幸運なことに、そのときにはまだ核廃棄物は投棄されていなかった。
続 原発震災日誌⑫
続 原発震災日誌⑫
3.11以前、追いたちの記を書いていた、その追いたちの記に何故か嫌気がさしていた、個人の意味を探ることの、私における意味が感じられなければ、ただの追憶であるだけで、私の意味とはならない、そうした時、3.11が起きたのであった、以降、私の思考はこの原発震災を考えることに集約されてきた、癌を宣告され、闘病していたあの五年間のように、癌とは何かのように、原発、核とは何かと、
十六歳の心に突然に目覚めた感情、不安と反抗、自由への憧れ、それらが私の実存という感情であった、この感情は人の死という絶望と無の感情への扉でもあった、いまこの地上に核の不安と、原発への反抗の感情、そして絶望と無という生命絶滅のパンドラの箱、癌の宣告のように、私が、私という一個が、私の癌のように、この核世界を考え、私対世界が、私対原発、私対不条理、私対絶望と、常に私があって、私を何処の上にも据える必要はないのだった、私とは常に私であるのだった、これが私対世界の、私が癌からつかんだ感情であった、私対カミュ、私対ニィチェであるのだった、
絶望とは絶望、現在の絶望とは、希望を標榜しての絶望ではない、絶望とは絶望、無であるのだった、
世界の様々な差別、貧困、搾取、結局これらは全人類が絶望しない限り、無くなりはしないと思わせる、否、死が人の絶望となりえていないように、譬え原発が種の絶滅を警告していても、絶望には至らないのではないのか、イエスとも、キルケゴールとも違う、現代の絶望
夢を見た
震災後の、共産党がやっていると思える、東北の反原発の集会に私は参加していた、福島の現在の状況を各地の代表が報告し、署名活動や、草の根の様々な活動が提起され、アピールをして終わる、といういつもの集会であったが、私は一人の共産党の活動家とおぼしき、その集会の事務局をしている男と議論になっていた、「共産党は、どうして国民の生命財産にかかわる、今回の原発災害を本気で闘わないのか」「今日、こうして反原発集会なるものをしているが、原発をただちに廃炉にする行動に立ち上がるべきではないか」「本当に反原発なのか、ついこの間まで、反原発ではなかったはずだ、」私がかつて反原発を唱えたとき、「綱領には反原発は掲げていない、未来のエネルギーとして、安全に民主的管理をしていくことが大事だ」と言った、「世界が今、絶滅寸前にあるのに、個々の党員も、支持者も甘いよ、共産党の絶望を見据えない、理想主義がいけないのだ」などと私は言っていた、それに対し終始穏やかに、少し笑いを浮かべながらその男は私の言うことを黙って聞いていて、そして言ったのが「綱領というものは、世界情勢の変化に対応して、党内討議を積み重ね、変化していくものです、行動的には女川原発、東海原発に反対したりしてきている、そして現在は、はっきりと原発ゼロをを打ち出している」と、「ところで、どうして貴方は、党を辞めたのですか、それは利己主義ではないのですか」
私が党を辞めた理由を、この夢分析を通して
やらなければ、何故に私が3.11以降、「絶望と無」に至っているかを、
『島村』
陽の射さない四畳半の陰鬱な部屋、窓を一メートルも隔てないで隣のアパートがある、そこからはいつもしゃがれ声の女の声が響いて来る、で、彼はその窓を本棚で塞いでしまった、窒息しそうな部屋だった、本の他には何といって無い、綿の飛び出した万年床と、着つくして悪臭を放っている下着類が散らばり、何日か前に飯を炊いた鍋がひからびて口をあけている、その中で彼は先程から外へ出る機会を窺っていた、彼の部屋は家主の作業場すぐ横にあり通りへ出るまで、どうかするとおやじに見つかる、おやじは組織の役員で何んだかんだと声を掛けてくる、彼はこの何日か事務所へ出ていないし、ただ具合が悪いとだけ何日か前に電話をいれていたが、おやじは時々昼間電気がついているのを知っているに違いない、又何か考えごとをしている、少し元気づけてやらねばなどと声をかけられたが最後、きっと黙りこくって無様な醜態をさらす結果になる、それこそ電気がついている度に戸をたたかれ、なぐさみ言を聞くはめになる、その為に彼はこの何日間、めったに昼間は部屋を出なかった、タバコの煙る中で悶々と一人で耐えた、「組織と個人」「運動と文学」――俺は書きたいんだ、書くことで運動に参加するんだ、そうだ――書く以外にないんだ、それなのに俺は何を悩んでいるんだ、原因は一つ、組織だ、運動だ、これが俺を掴んで放さない、闘わねばならない、ねばならない、――「君がどの分野が適しているかは出来上がった作品によって現在の任務と、どちらが運動に貢献出来るかによって決める」――チェッ何を言っているんだ俺は自分で自分の能力を高める自由を有するんだ、書きたいという衝動は何にも換え堅い、芽が出るまで待てるか!さあ書け、書いたらいいではないか、何を煩悶しているのだ、寸暇をおしんで書いたらいい!
若き日、組織と個人、犠牲精神の問題で悩んだ、反抗を有効にするためには組織化しなければ、組織化のためには、個人の自由がと、全体の幸福と、個人の幸福、二律背反が常にあり、ついには出家遁世へと、この問題は現在も私にあり、反原発の運動を考えるとき、それは付き纏い、
癌は発見される遥か十年前に発生している、原発は事故がおきる遥か前、一九四五年のヒロシマ長崎に発生していた、多くの友人知人が癌で死んでいった、スリーマイルでチェルノブイリで、癌は発生していたのであった、今、福島という私の癌の発見であったのだ、スリーマイルは早期発見の癌、チェルノブイリはスキルス性の癌、そして福島は手遅れの末期癌、高額の抗癌剤を打ち続ける癌患者のように、除染、瓦礫処理にと税金はドブに捨てられ、癌医療村のような原発村の利権構造、
今や世界が癌にかかってしまった、この二十五年間の「未踏」は、癌になった私の生き方を見つめたもの、「未踏」を辿ることは、私の絶望を通して、世界の絶望を考えることにつながる、何故私が世界の絶望を容認するかということも、
新しき人とは
死期を生きる人、時というものへの信仰、
死というものがあり、その死というものから生を見た場合、生は有限であり、存在であり、その生から死を見た場合、死とは永遠であり、無である、世界を、人類、意識、宇宙誕生以前、以降、などと考えずとも、今の生ある私が考える世界は全て永遠であり、有である、ホーキングの言うように、有から無を考える限り、宇宙は有であり、永遠であるのだから、しかし、今私が無であり、死であるとするなら、世界は無であり、有限であろう、生なる有だけが、無限と永遠であるのであった、
余命何ヶ月と、癌を生きる人間の中にある意識と、余命を意識しないで生きている人間との違い、意識が消えるということ、生きてあった喜びが再びは味わえないということ、意識は何処まで行っても意識に過ぎない、が、生きてあった喜びは記憶という意識下の感情、これさえ満たすことが出来るなら、それは神の恩寵のように、死までの喜びの時を生きられるはず、癌を生きる人間の中にいくらも垣間見ることが出来る、絶望しても尚、この今の今、生きてある喜びに包まれるなら、絶望さえも意味となるのだった、
私は私の存在の重さで、この私が捉える世界の絶望を超えようとしているのだが、死にゆく人を側に見て、楽しんでいられない、悲しんでもいられない、あの日最悪の事態にならず、当座はこうして、東京は助かって、日本は成り立っている、間違っていれば、日本は終わっていた、この安堵感とは、癌ではなかった、転移はなかったような、しかし、福島が、いや、多くの低線量被爆者がこれから癌にかかっていくことが、こうした彼らとの共通感が、二百万年に渉る汚染が、転移の目安の五年のような、不安、不健康な意識を支配していくのだった、
五年後、十年後に悲劇が顕在化したとき、その苦痛、悲しみは、絶望に変わるだろう、本当に何も手につかない、ただ音楽を聴くばかり、文学の類が、美術の類が、全く力に成らない、ベートーベンであれ、ミケランジェロであれ、原発、核に対してはただの雑音、紙切れ、希望を語る人間もいるが、絶望しない人間もいるが、癌になっても、自然災害のように、仕方のないことだと、それが放射能の影響だとしても、いずれ生あるものは死すと、開いてしまったパンドラの箱、蓋をしなければ何時までもその災厄が出続ける、反原発、反核とはパンドラの箱の蓋をすることではある、いつ何ん時、またその蓋が開いてしまうか知れないが、管理するということ以外に方法はなく、二百万年にわたる管理、
開いたパンドラの箱(核)の良い点
グローバリズムそのものが核の汚染を引き起こし、
貧富、格差を超えて、世界中に拡げ、
二百万年に渡って人間に考えさせ、
生きることの意味を、生き方を問い続ける、
生命の共生を突きつける、
浮かれていて良いのかと、
傲慢な文明が駆逐される、
必要な新しい文化が誕生する、
その結果シンプルな生き方が、
在る事を、共生を意味とする文化へ、
あらゆる価値観が、放棄の基準へ
捨てることの喜びへ、所有しないことの普遍へ
アカデミズムというものが無意味に
人が人を超える、物質からの精神の自由が
もう何もしないでもいい、只生あることを楽しむ存在に、
福島、癌の発症率は61倍に上昇!国立癌研究センター長!
福島、癌の発症率は61倍に上昇!国立癌研究センター長!安倍政府は全て隠蔽・洗脳ー彼らは殺人者だ!政府を許すことができない、彼らは殺人者だ。これは間違いなくホロコーストです。 http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/45a28888a618c6ce88bf338490b9dfb0 … @sohnandaeさんから
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
旧ガイガーヌ漫画このページだけ見ても、いかにガイガーヌさんの漫画がすごいかわかります。 「無主物と呼ばれて」の、半減期までの養育費とか、その発想が、ちょっと現実的で、哀愁があって。半減期など想像できない人にもジーンと感じるものがある http://blog.goo.ne.jp/kashiwa_gm/e/c64cfd101fc7e4e88b3796f910b2a7a2 …
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
★ガイガーヌ漫画2.0/Radioactive Comics 放射能ファミリーシリーズ1「たまにはぜいたく」 放射性物質だって、たまには贅沢したいんです! http://blog.goo.ne.jp/kashiwa_gm/e/4821f28ffef9985c3ce2511e1a5d9300 …
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
★ガイガーヌ漫画2.0/Radioactive Comics おさかな編~オレ達えらいのか?25万ベクレル http://blog.goo.ne.jp/kashiwa_gm/e/4e4a2dacc3eea4885010df2ad6b0968a …
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
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山口和朗 @mitosya · 3月1日
黄色の苔のようなもの 柏市 屋根掃除で走った衝撃~衛生のために少し水分を抜いたら、重量が減り、当然ですがパワーアップしてしまい、 現在20μSv/hを叩き出しています。 http://blog.goo.ne.jp/kashiwa_gm/e/55eeba6b777d4e54d50c1c96b854b6b4 …
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
海へ流出する放射性物質は一日に220億ベクレル以上~タケノコメバルが、セシウム合計で22万3000ベクレル/kg、これが最高値の魚で、港湾口で採取された http://oshidori-makoken.com/?p=758
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
「空き家対策特別措置法」が施行へ 空き家を持つと税負担が6倍?親の実家が負債としてのしかかる時代は、すでに来ている。そのとき考えるべきは、得をする方法ではなく、いかに損を出さないか、なのだ。 http://news.livedoor.com/article/detail/9830005/ …
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
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山口和朗 @mitosya · 2月28日
海底掘削船「ちきゅう号」と東日本大震災、そして原発事故 乗り組み員がこんなにはっきり「人工地震を起こします」って言っちゃっていいんですかね?wwwwwww どうしろっていうの?wwwwwwwhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1112.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
安倍政権、オスプレイを市場価格の2倍で購入していた!1機当たり50億~60億円を100億円以上で購入!自衛隊「他の整備にお金を使いたい・・・」必要もないのに、倍の値段で買うなんて、「用心棒へのみかじめ料か」と言いたくなる。 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5708.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
生き物に異変!原発事故の「不都合な真実」 無視できない変化が起きている - http://toyokeizai.net/articles/-/61864 … “春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったらコマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。だが、いまはもの音一つしない。
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
汚染水タンクの耐用年数、実は根拠が無かった事が判明!規制委員「最初の1年間に設置したタンクは発注時に規定してなかった」1基に広島原爆と同じ量の放射性物質が含まれている http://saigaijyouhou.com/blog-entry-861.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
福島第1原発の排気筒、耐用基準超えか!?倒壊する恐れも!排気筒の根本からは25シーベルトの超高線量を検出! http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5665.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
ネオニコチノイド系農薬はいらない |EU基準のトマトで60倍・茶葉で71倍・キュウリで100倍! 国際環境NGOグリーンピース http://act.gp/1wezm5j
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
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山口和朗 @mitosya · 2月27日
12歳以上のあなたが日本を脱出すべき理由 カリスマ投資家が懸念する「最悪のシナリオ」 |10年後、20年後になってみて、「あのとき、日本は終わっていたんだな」と気がつくでしょう。 最新の週刊東洋経済 - 東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/61765 …
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山口和朗 @mitosya · 2月26日
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山口和朗 @mitosya · 2月26日
東日本で相次ぐ奇形魚!目が無い金魚や背びれが曲がった魚!千葉県の漁師「奇形魚は線量が高く、回転寿司などへ」 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-760.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月26日
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山口和朗 @mitosya · 2月26日
閉じられない海側遮水壁から流出する放射性物質(東電2014年8月当時) Sr90 50億Bq/L CS137 20億Bq/L H3 150億Bq/L http://oshidori-makoken.com/?p=812
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NHK科学文化部 @nhk_kabun · 2月26日
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NHK科学文化部 @nhk_kabun · 2月26日
【脱原発のテント撤去と敷地使用料命じる】脱原発を主張する市民団体が活動拠点として経済産業省の敷地に設置したテントについて、東京地方裁判所は、テントの撤去に加え、現時点で2800万円余りを敷地使用料として支払うよう命じました。http://nhk.jp/N4I06cM3
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
Fukushima: réacteur en surchauffe ? 26 Juin 2011 -通常はズームアップされない福島原発のカメラがズームアップされ、放射性蒸気?が勢いよく噴き出している様子が分かる。 http://www.dailymotion.com/video/xjkdnb_fukushima-reacteur-en-surchauffe-26-juin-2011_news … @Dailymoti
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
ネットと新聞・テレビのユーザに"大きな乖離"、報道の現場に自粛の空気も…古賀茂明氏らが訴え http://blogos.com/outline/106487/ @ld_blogosさんから
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
福島第一原発2号機の搬入口屋上で全βが52,000Bq/L検出、大気に大量放出されていたβ線放射性物質の脅威。 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/0e923ace89b1c1ccd173e1c0ebda4a4a … @KinositaKoutaさんから
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
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山口和朗 @mitosya · 2月25日
国民年金の損失額が21兆円に倍増!…年金資産の運用見直しは大失敗。このままではなくなってしまう! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=300393 …
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山口和朗 @mitosya · 2月24日
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山口和朗 @mitosya · 2月24日
2015/02/21 【東京】樋口健二氏 韓国写真展報告会・被曝労働者たちの声(動画) http://iwj.co.jp/wj/open/archives/234713 … @iwakamiyasumiさんから
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フォローしています キリスト教通信さん、エハン・デラヴィさんと樋口 健二さん。
キリスト教通信
@christnewsjp フォローされています
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フォローしています キリスト教通信さん、エハン・デラヴィさんと樋口 健二さん。
キリスト教通信
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ネット上にあるキリスト教に関するニュースをピックアップ。いち早く皆さんにお届けします!
エハン・デラヴィ
@EchanDeravy
エハン・デラヴィ
@EchanDeravy
2015/02/22 シンポジウム「原発と差別、戦後日本を再考する」 ―講演 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)&白井聡氏(文化学園大学)(動画) http://iwj.co.jp/wj/member/archives/31947 … @iwakamiyasumiさんから
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山口和朗 @mitosya · 2月24日
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山口和朗 @mitosya · 2月24日
【続報2】「勾留する理由なし」逮捕状がない逮捕!? ~釈放直後に山城博治氏が語った逮捕劇の全容――沖縄・名護警察署前での緊急ぶらさがり記者会見 http://iwj.co.jp/wj/member/archives/31920 … @iwakamiyasumiさんから
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
2ちゃんねるのサーバーがダウン!西川農相の辞任発表とほぼ同時に!何らかの圧力か? new!! 2ちゃんねる勢いランキング URL http://2ch-ranking.net/index.html?board=zenban …
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大野純一 @ohnojunichi · 2月23日
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大野純一 @ohnojunichi · 2月23日
米国との同盟国27カ国が負担する米軍駐屯費、その世界比較です。なぜか世界中で日本だけが血税から膨大な費用を支払っています。
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
9.11の真実~水のサンプルは、潜在的に60億トリチウム単位の可能性が9/11の夜に収集されていた。 つまり、漏れた原子力発電所と同等です。 気温はニューヨーク警察博物館でプラークによると、「セメントが溶岩のように流れた」ほど高かった。http://themillenniumreport.com/2014/09/busting-911-myths-nanothermite-big-nukes-and-dews/ …
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
原子力事象として9/11の否定できない証拠~核汚染物質の最大濃度の場所は、データによると、ブルックリン橋近く南東ウォーターストリートの角とCoentiesスリップ、だった。 これは、最大の亜鉛のレベル(2990 ppmの)およびストロhttp://themillenniumreport.com/2014/09/vt-nuclear-education-undeniable-proof-of-911-as-a-nuclear-event/ …
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
世界を瞬時に破壊できる、核兵器よりも恐ろしい兵器=EMP電磁パルス兵器 電磁パルスは、ケーブル・アンテナ類に高エネルギーのサージ電流を発生させ、それらに接続された電子機器などに流れる過剰な電流によって、半導体や電子回路に損傷を与える。 http://mizu888.at.webry.info/201311/article_17.html …
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
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山口和朗 @mitosya · 2月23日
続 原発震災日誌⑪
続 原発震災日誌⑪
理念なき談合、同窓会的政治、警察署長、判事、市長、企業城主の学芸会的政治、絶望しても死なないで生きると、絶望の上に私を据えて生きると、絶望だけが人を共感へと導く、絶望こそ希望であると、絶望しているから希望を探るのだと、
戦争に対して、戦いを起こした者、加担した者の責任、原発事故の、推進してきた者の、それを許してきた者の、罪は、反対してきた者以外には全て有るという人の利己への、
原発爆発の、災害とは、許したことの上に発生したもの、水道管が破裂して被害が出て、管理者の罪を問えないような、原発爆発の放射能の無主物とは、トンチの世界、国策であったとしても、ずさんな運用をしてきても、それが例え自然災害であっても、想定を無視して、起きた事故に対して、国策であったのだから、形として見えるものではないから、ただちに被害の出るものではないから、誰のものでもないからと、全て自然災害、地震と津波のせいだから、全員無罪、地震や津波で死んだ人の被害と同じ、自然に対し罪を問えないように、自然災害には怒らないのに、何故に原発災害には怒るのかと、津波に対して防波堤は、地震に対して耐震防火は、すべて減災、予防原則を考えてのこと、原発に対して、何故に人はこの予防原則が適用できないかの問題、地球温暖化のために原発が必要と、予防原則に騙されて進めて来た、その原発に罪はないと、
癌を生き延びて以降、再びは騙されまいと生きてきた、原発が、とりあえずは奇跡的に小康状態であることと、私の癌とは違う転移を残しているような原発の中で生きることとの、原発を転移と捉えるのか、転移は無いと思って生きるのか、原発は私の癌ではない、仕方がないとするのか、新しき人の感情、価値、喜び、意味を、どのように人に伝え得るか、伝わるのか、それで何とかなるのか、悪があって善があり、死があって生があるのではないのか、そしてまた堂々巡り、カミュの反抗、仏教の諸行無常へと落ち着くのか、結局人は癌の告知をされるより、知らされない方が良いとするのか、絶望を生きるより、幻想の内に生きていたいのだと、絶望が分かっていても、希望に生命を繋ぎたいのだと、笑って死ねるホスピスのように、余命三ケ月の人の生命のように、絶望している人に、絶望の共感か希望を語る他はないのだった、人は人生を此れっきりのものとして、生きることが出来るのか、癌患者の生き涯とはどのようなものが、絶望の上に立って、絶望を見続けること、癌患者の生きる道に似る、誰もが原発は止めたいと、条理と、希望へと、しかし原発は核は世界の、人間の無知と傲慢から発生しているもの、
夢を見た
南泉寺へ私、エミコ、嘉樹、潤が集まっていた、一室を借りていた、私は世界が悲惨な状態になっている中、それらを冷静に見つめることの必要を自らに課していた、私は処刑か何かで出来た、首や手足のない何体もの死体を処理しなければならなかった、誰かと寺の裏山の坂道に並べて置いた、穴を掘って埋めないといけないのだが、掘るのが大変だし、死体などあっちこっちに転がっているのだからと、しかし運んだ死体は鳥のスティックのようにきれいに並べて、道の端に置いたのだった、夜になって寺では何か行事があった、灯篭に火が入れられ、黒いシュス姿の女の群団や、村の名士達が集まっていた、私は暗闇に紛れ込んで、人に見つからないようにそこを通り抜け、
誰かが電話で、患者さんが、貴方に会いたいと言っていると、誰かと聞くと、分からんと、そして、プリプリ顔の面白い人だという、私は今でも四人程お宅の病院に、知り合いが入院しているが、あっ分かった引地さんだ、まるでプリプリトマトのような顔の女だろうと、彼女は元気になってきたのだろうかと、あっ、でも病院に行く前に、昼間、裏山に隠した死体はどうなっているのか、見て来なくては、昼間は面倒だから置きっぱなしにしたのではあるが、夜になれば、辺りにうようよいる野犬がそのうち食べてくれるだろうと置いたのだから、
群集の中を抜けて、裏山の坂道を見に行くと、数体だった死体が何十体にもなっており、犬が群がっていた、これは、ゴヤの子を喰う親の絵、アウシュビッツの遺体の山の写真だ、顔中血だらけ、肉だらけにした白い犬がこちらを向いていた、
一発撲ってけ散らし、次に私が最初に置いた死体の側に行って見たら、どれがどれだか判らない程になっていた、それは本当に鳥の腿肉のように首と手足のない状態で
並んでいた、群がっている犬を足蹴にし、拳骨で撲り飛ばすのだが、犬の数が多すぎ役にたたなかった、何んとかしなければと、子供達に力を借りようと、道を帰ろうとしたら、その坂道の滑り止めに使われている、木だと思っていたものが、よく見るとヤキトリのような色をした人の骨であった、その上を私は歩いていた、
坂を上り切った所に来たとき、一組の親子の家族に会った、親子は何事かをしゃべりながら、その死体の上をピョンピョン撥ねながら、坂道を降りて行った、なぜか私は裸足であった、疲れたと言って先に帰っていた妻の居る所へ帰ったが、足が汚かったが、土は余り付いていなかったので、畳の上の新聞紙を伝って奥の部屋に行った、案の定、妻は寝ていた、その奥では、潤が寝ていた、私は家族に、この現状を見せる必要を感じていたのだった、そこには私の死体もあるはずだからと、私の死体はすぐ判る筈、腹に手術の跡があるからと、そこへ嘉樹が帰って来た、一緒に死体を見に行くと告げた、何しろ死体をどこかへ埋めるか、処分しなければいけない、すぐに行こうと、出ようとしたら、嘉樹の友人という男がやって来た、私は出るタイミングを削がれてしまった、そこで夢は終った、
夢分析
私は絶望の上に身を置くと考え、作品を書き始めていた、私が絶望の上に身を置くとは、家族も一緒に身を置くことになるのだから、死体を見に行くのだと考えている、
寝る前に読んだ、「シシュポスの神話」の不条理性の文学というものを、人は持続できるものなのかと問う、カミュ自身の葛藤を感じ、また、私自身、3.11以降の、私ではない、世界の、この地球の絶望に、不条理に対し、どう捉えたらと考える日々、絶望を夢に見ているのだった、絶望の中でも、人は日常を送っていた、特に寺の中、寺に集う人には、絶望と日常が鮮やかに、密接に繋がっていた、
不条理、絶望との相克は人においてけして悪いものではない、今や絶望を日常化して生きることが絶望を生きる方法なのだからと、私は夢の中で考えていたようであった、寺の葬式はその象徴であるのだった、悲劇や不条理が、ありがたい、心地良いお経のリズムに合わせて日常化されている、生と死、苦と楽が巧みに織り合わされている、
絶望の中にいる癌患者の友人に、何の希望も、慰めもしてやれなかった、今、Nの妻に無力感ばかり、それが毎月訪ずれるのだった、かつてWさんが同じ病気で、私はそのWさんの絶望に会うことが嫌で避けていた、そして人伝に死を聞き、Yさんの場合も、死が迫って来ると、私は避けた、Mの時も、妻と一緒だったから、何度か見舞ったが、Hの時は彼の家族の時へと、Oの時にはO一人に帰し、HKの時は苦言を呈して拒み、
この夢をどのように描くか、手法的には一つ一つの絵画のモザイクでいいと思う、絶望を夢として、しっかり意図して描くこと、夢のリアリティー、私の実感を大事にしながら、書くことで生きる私への方法論が、私の私を絶望の上に据えること、私の癌とは違うのだった、世界の絶望を実際的には掴むことが出来ないのだった、ディキンソンの詩のように、その絶望の先にもまだある集まりというもののように、絶望ではない、嫌悪の、不毛の、無意味の、無名の私が、生きていることの作品を、Tさんが「あそこまで言い切ったのだから」と原発震災日記へ、「次の作品を」に対する私の私に対する作品なのだから、
私だけが絶望の上にと思うのだが、部屋の狭さ、家族の生活から、どうしても家族に影響を及ぼしてしまう、これらがあって見た夢ではあった、昨日はTVが五月蝿くて、ヘッドホーンをしたり、遂にはうるさいとエミコに怒鳴ってしまい、カミュは実生活では演劇を指導したり、スポーツカーを乗り回し、人に会えば、好感を持って接し、グルニエを訪ねれば、解放された心で会い、作品世界と現実を使い分けていた、私には出来る時と、出来ない時がある、かつて在日の作家に対して、日本人作家からの揶揄が言われたことがあった、「君らには、差別や、民族分断やら、書く理由があって良いねえ」と、今や私には、彼等在日作家以上の理由があるのだった、今や全作家に理由は与えられたのだった、愛も真理も、文化も歴史も、全てが、寄って立つ場を喪失する地点の絶望が与えられたのだった、見た夢は、今や現実そのものであるのだった、現象学的現実であるのだった、夢の中では、作品や意図は何も考えてはいないのだが、私が見ていることには違いない、現実生活で書く時、あれ程のリアリティーを持って描けてはいない、またあれ程のの視点の自在さ、ディティールが保持されてはいない、実に明確に見えるのだった、ありありと思い起こすことが出来る夢の世界は、不条理の文学であるのだと、