ユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour
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ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour, 1959年10月1日 - )は、セネガルの歌手。
セネガルポピュラー音楽の大御所。祖国セネガルの伝統音楽に、さまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを取り入れ、独自の音楽世界を展開している。2004年、米国のローリング・ストーン誌は、「アフリカにおいて生存する最も著名な音楽家であろう」と賞した。セネガルの伝統的音楽家家系グリオ(語り部)の血を引く彼は、祖国の楽器ジャンベを用いた伝統音楽から、カリブ音楽やその他様々なジャンルの音楽を融合したンバラという音楽ジャンルを確立し、これまで20年以上に渡り、自身のバンド、シュペール・エトワール・ドゥ・ダカール (Super Etoile de Dakar) と共に活動を続けている。
略歴
1959年セネガル・ダカール生まれ。西アフリカの代表的な民族であるセレール族出身で、古くから伝わる音楽や思想を伝承する「グリオ」の家系に生まれ育つ。10代から音楽活動を始め、12歳から数年間は、1970年代初頭のダカールで最も人気があったスター・バンド (Star Band) で活躍した。1979年、エトワール・ドゥ・ダカール (Etoile de Dakar) を結成。 1980年頃からアフリカの隣国やフランスなどへのツアーやレコーディングを開始する。1982年にシュペール・エトワール・ドゥ・ダカールを結成。1980年代にピーター・ガブリエルと出会い、ライヴやレコーディングでの共演を機に注目を集めるようになった。他にも、ポール・サイモンやスティングなど有名ミュージシャンとの共演で、世界的アーティストとしての地位を確立する。この時期に『ザ・ライオン』(1989年)や『セット』(1990年)などの代表作が誕生した。1992年には、映画監督のスパイク・リーが設立したレーベルに移籍。1998年、ワールドカップ・サッカー・フランス大会の公式アンセム「勇者たちの庭」("La Cour des Grands"
を制作したほか、同年、アニメーション映画『キリクと魔女』の映画音楽を手掛け、日本でも2003年夏にスタジオジブリ配給で公開された。日本ではさらに「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がホンダ・ステップワゴンのTV-CMソングに起用された。
を制作したほか、同年、アニメーション映画『キリクと魔女』の映画音楽を手掛け、日本でも2003年夏にスタジオジブリ配給で公開された。日本ではさらに「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がホンダ・ステップワゴンのTV-CMソングに起用された。
2003年、反戦の意を込め、全米ツアーをキャンセルした。2004年、アルバム『エジプト』で第47回グラミー賞(ベスト・コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム)受賞。2006年ワールドカップ・サッカー・ドイツ大会ではファイナル前イベントのプロデュースを行なった。同年夏には、〈東京の夏〉音楽祭にてユッスーとスーパー・エトワール・ドゥ・ダカールによるフルステージ来日公演が10年ぶりに果たされた。
スティーヴィー・ワンダー、坂本龍一など、世界的なミュージシャンからの信頼も厚い。社会的なメッセージ色の濃い作品、LIVE 8などのチャリティー企画への参加、ユニセフ親善大使としての活動など、確固たる信条に貫かれた彼の言動は、音楽界のみならず、社会的にも大きな影響力を持つ。現代のグリオとして、音楽を通じて社会にコミュニケートする姿勢は「歌うジャーナリスト」とも称される。
ユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour
ハイビジョン特集フロンティア<字幕>▽アフリカの魂 闘う歌手ユッスー・ンドゥール
チャンネル :BShi
放送日 :2009年11月28日(土)
放送時間 :午後8:30~午後10:00(90分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>カルチャー・伝統文化
音楽>民族音楽・ワールドミュージック
世界に影響を与え続けるセネガル出身の歌手ユッスー・ンドゥール。イスラム教徒の真の姿を伝えるアルバムで、グラミー賞を受賞するまでを追った感動の音楽ドキュメンタリー
世界に影響を与え続けている歌手がセネガルにいる。ユッスー・ンドゥール。2001年のアメリカ同時多発テロで、イスラム教徒は世界の厳しい視線を浴びた。ユッスーは、真のイスラム教徒の姿を知ってもらおうと、アルバム「エジプト」を完成させた。周囲の反対や批判もあったが、それを乗り越えて、ユッスーはグラミー賞まで受賞する。世界にメッセージを発し続けるアフリカの歌手を追った感動の音楽ドキュメンタリー。
僕らには石油もダイヤモンドもない、でも何かあるはずだ、アラーから授かった何かが。
まず誇れる文化がある、それから---生まれが豊かな国とか、そんなのは関係ない。
問題はリズムだ。日々の努力と夢が織りなすリズムが---
アーティスト Youssou N'Dour
トラック Pitche Mi
アルバム Casa Paradiso presents African Chill
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アーティスト Youssou N'Dour
トラック Wake Up (It's Africa Calling)
アルバム Rokku Mi Rokka
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アーティスト Youssou N'Dour
トラック Immigres/Bitim Rew
アルバム Immigres
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神 統 記 ヘシオドス
世界文学大系
ヘシオドス
神 統 記
広川洋一 訳
ようこそ、ゼウスの娘らよ、さあ麗わしの歌を恵み給え。常磐にいます不死の神神の聖い族を称えよ、大地と星散乱える天さらに暗い夜から生まれ、鹹い海に育まれた神神を称えよ。語り給え、まずはじめに神神と大地が、また諸河と大浪寄せる涯しない海が、また輝く星辰、高く広がる天空とこれから生まれた、善の与え手なる神神がどのようにして生まれたのかを。 一一五
まず、原初に、カオスが生じた、さて次に〔雪を戴くオリュンポスの山頂に宮居するすべての不死の神々の〕常久に揺ぎない座なるタルクロス、さらに不死の神神のうちでもことのほかに美しいエロスが生じた、この神は四肢の力をゆるめ、すべての神神とすべての人間どもの胸うちの心と考え深い思慮をうち拉ぐ。さてカオスから幽冥と暗い夜が生じた。次に夜からアイテールと昼日が生じた。〔夜が幽冥と情愛の契りして身重になり生みおとしたのである〕さて大地はまずはじめに彼女自身と同じ大きさの星散乱える天を生んだ、天が彼女(大地)をすっかり覆い、至福の神神の常久に揺ぎない座となるように。また大地は鬱蒼とした山山に棲む山の精の女神たちの楽しい遊山の場所、高い山山を生んだ、 一三八
さてそのときからというものゼウスはこの企みのことを決して忘れることなく、もう疲れを知らぬ火の勢いを、奏皮の樹でもって与えようとはしなくなった、地上に暮らす死すべき身の人間どもには。だがシーアペトスの秀れた息子は彼(ゼウス)の裏をかいて、疲れを知らぬ火の、遠目にも著るき輝きを中空の大茴香(の茎に)入れて盗んだ。すなわち高空で轟くゼウスの心底を刺したのである。人間どもの間に火の遠目に著るき輝きを見たとき、彼の心は激怒した。すぐさま彼は火の代償として人間どもに禍悪を創った、すなわちその名も高い両脚曲がりの神(ヘーパイストス)がクロノスの御子(ゼウス)の意を畏んで、土から花恥ずかしい乙女の姿を創った。 五八四
神統記
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神統記(しんとうき、古典ギリシア語:θεογον?α、Theogonia、テオゴニアー)は、紀元前700年頃の古代ギリシアの詩人ヘーシオドス作の叙事詩である。ヘクサメトロス(長短短六脚韻)1022行からなる。冒頭の記述からヘーシオドスの処女作とされ、30代前半の作品と推定される。原題の「テオゴニアー」は「神々の誕生系譜」を意味する。
原初の混沌=カオスからの世界の創造、神々の系譜とその三代にわたる政権交代劇を描き、ギリシア神話の宇宙観の原典とされる。
特徴として、ゼウス政権の正統性、無謬性を強調する事(そのためティーターノマキアーやプロメーテウスの説話に若干矛盾が生じている)、女神ヘカテーを強く賛美している事などがある。
作品中には後世の挿入と見られる箇所もあり、965行から後を、元来は別の作品(『女傑伝』)であったと推定する研究者もいる。
神々の系譜
作者はまず前置きとして詩神ムーサへの賛歌から始め、オリュンポスの諸神と歴史を語り起こす。そしてオリュンポスの始まりと神々の誕生、ウーラノス - クロノス - ゼウスの三代にわたる政権交代劇を説き起こす。原初の神々
最初に カオス(混沌)が生じた。その次にガイア(大地)とタルタロス(冥界)、そして エロース(愛)がともに誕生した。カオスからは エレボス(幽冥)と ニュクス(夜)が生まれ、両神が交わってニュクスは ヘーメラー(昼)と アイテール(清明な大気)を産んだ。これらの原初の神々からは、人間のありようをめぐる概念の擬人化・神格化とも言える多数の神々が生まれたと、ヘーシオドスはうたう。ニュクスからは、夜の子供に相応しい、ヒュプノス(眠り)やオネイロス(夢)、またタナトス(死)やネメシス(復讐)、運命の三女神らが生まれている。
ティーターンの誕生
ガイアは独力でウーラノス(天空)とポントス(海)を生んだ。ガイアはウーラノスを夫とし、数多くの巨人や神々を次々に生んでいく。まずティーターン十二神を生んだ。すなわち、オーケアノス(大洋)、コイオス、クレイオス、ヒュペリーオーン(光明)、イーアペトス、テイアー、レアー、テミス(審判)、ムネーモシュネー(記憶)、ポイベー、テーテュース、そして末子の狡猾なクロノス(農耕)が生まれた。またガイアは一つ目の巨人キュクロープス(ブロンテース、ステロペース、アルゲース)を生んだ。彼らキュクロープスはいずれも雷に関する名を持ち、のちにゼウスに雷を与えたという。そして五十頭百手の巨人ヘカトンケイル(コットス、ブリアレオース、ギューゲース)を生んだ。
クロノスとその子
ウーラノスはガイアとの間に生んだティーターン神族を恐れ、大地の体内に押し込めていた。しかしガイアはそれを怨みに思っていた。ガイアは鎌を用意して子供たちに渡し、一矢報いる策略を練った。ある夜、ウーラノスがガイアに覆い被さると、末子のクロノスがウーラノスを鎌で去勢し、切断された男根を放り投げた。ウーラノスの男根からは原初の美の女神アプロディーテーが生まれた。クロノスはレアーとの間に光り輝く子供たちを生んだ。ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、 ハーデース、 ゼウスらの兄弟である。しかしクロノスは、父ウーラノスとガイアから、自分の子供に打ち倒されるであろうとの予言を受けており、それを恐れたクロノスは生まれた子供たちを飲み込んでいった。しかし、ゼウスだけはレアーからガイアに渡され、大地に隠されて岩を身代わりとし、難を逃れた。長い隠遁ののちゼウスは成長し、クロノスを打倒して兄弟たちを助け出した。
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ウィキメディア・コモンズには、ヘーシオドスに関連するカテゴリがあります。ヘシオドス(希: Ησ?οδο?、英: Hesiod)は、古代ギリシアの叙事詩人。紀元前700年ごろ活動したと推定される。『神統記』、『仕事と日(仕事と日々)』の作者として知られる。
父親は元は商人であったが破産してボイオティアに住み開拓農家として父や弟と農耕に励んだ。また、しばしばムーサ崇拝の地であるヘリコン山を訪れた。『神統記』によれば、ヘシオドスが羊を飼っているとき、突然にムーサが詩人としての才能をヘシオドスに与えたという。
『仕事と日(々)』によれば、弟との遺産相続をめぐる裁判に巻き込まれた。地元の領主は弟からの賄賂を受けてヘシオドスが自分に忠実でないと難じて遺産である筈の土地を没収して弟に与えてしまった。このため、憤懣やるせなかった彼は旅に出て詩人として生活するようになったのだと言う。
アウリスで詩人ホメロスと詩を競ったとされる。戦争と武勇を讃える『イリアス』を歌うホメロスは聞き手の胸を熱くさせるが、対するヘシオドスは牧歌的な『仕事と日』を歌った為、平和な詩を愛する時の王の采配によって勝利を与えられた。
彼の最期については、古代にすでに異伝があり、トゥキディデスの伝えるロクリスに没したとする説と、7世紀の資料の伝えるオルコメノスに没したとする説がある。
今日ヘシオドスの真正な作品と一致して認められるのは『仕事と日(々)』のみである。『神統記』の作者には論争があるものの、ヘシオドスの様式に極めて近いことは間違いがない。
『仕事と日(々)』は勤勉な労働をたたえるとともに、怠惰と不正な裁判を非難している。また、同書の一部分が世界最初の農事暦であると考えられている。『神統記』は神々の誕生と戦いを描き、ゼウスの王権の正当性を主張している。
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