理性
理性
「感覚や感情のように真正直ではどうにもならないものが在り、このどうにもならないものを自己のものと化しようとする時に、人間の中には、直接性を超えて、不可見の不可感の世界の中に、その法則を求める働きが起こってくる。その働きを理性と名づけるのである」
経験され、蓄積された感情、感覚が法則を求めて理性となる、感情、感覚を越えたところの精神が人の理性ではあるが、多く人は感情のまま、感覚のままに生きたいと欲している存在である。
老年
「僕にとって老年は静謐などではなく、年を重ねるにつれてますます激しく吹きつのって罷まない嵐に対抗することなのである。何となれば、老年においては、進むにつれて既知が未知に吸い込まれていくからである」
まもなく還暦を迎えようとしている、かつて考えられなかった未知の時を私は迎えている、記憶している小学生の頃よりの、拡げ、深めてきた私というものと、まもなくおさらばという、残されている時のその短さが手に取るように判る地点に今立っている。
明晰
明晰
「明晰さとは、明るさの限界を知り、いさぎよく闇を引き受け、前進しようとすることを一切放棄することにある。そうとすれば、悲劇的でも劇的でもない普通の道を辿って行くだけである」
限界も、闇も、感知しないで、ただ私の信じるところを歩いているだけ、前進なのか、後退なのかも知らない、ただ過ぎ行く時の中を。
もの
「ものがものであって、しかもものであるままで感覚を超えている、というこの事実、ものであろうとすると感覚を超えざるを得ない、というこの事実がデカルトとカントを生み出した」
私の意味、私を超えた意味、人は宿命のように問い続け、それはこれからも、人が人であり続ける原理であり、存在が与えてくれた人への贈り物。
夢
「僕のいう弱者とは夢が生活を食いつくした人のことを言うのだ。自分にもっとも直接し、自分の存在の根底と一つになった夢。僕にとって、他者との本当の接触は、夢の中にしかないのだろうか。なぜ夢の中のものが本当で、現実のそれは虚偽なのだろうか、それはそれに伴う感覚の切実さから来ている。このさし迫ったかなしみと安らかさ、これが本当だ、と感じるだけである」
切実さと、安らかさ、それらは自己との一体の感情の中に立ち現れるもの、人はその一体を求め続け生きている。本当は、死んだものからすれば、生きているということは夢のようなものであるのだが、
本物
本物
「作品における本物とにせものの意味。その一つは、その人の存在から自然の呼吸のようにその存在にぴったり即して出てくるものが本物である」
作品における、良いもの、本物の意味は、他者にとってのものであり、私に於いて本物とにせものの違いは、そのものが私という存在を生きようとしているか、否か。生きることが基本で、作品は派生のもの。
見える
「それは、その見えてくるきかたが、その見えてくるもののもっとも深い恒常的な姿はこれなのだということを明らかにしてくるような風に、そういう風に見えてくるそういう見えかた、なのである」
見ることを見る、が、私の見えるなのだが、
見ることを味わい、感じ、喜ぶ、私の時があって、そこに印象付けられたあらゆる現象が、再びは見られないかも知れないといった、物、存在、出来事への、確かに見ている、見ることが出来るといった、眼への感謝のようなものなのである。
見ることを味わい、感じ、喜ぶ、私の時があって、そこに印象付けられたあらゆる現象が、再びは見られないかも知れないといった、物、存在、出来事への、確かに見ている、見ることが出来るといった、眼への感謝のようなものなのである。
空しさ
「僕は空しさと言うもの、一つの重みだということを知った。自分は錬金術師になることができるだろうか」
空しさとは、死にゆく者への、生き延びる者からの共感のようなもので、空々しく、無意味で、そこには深い断絶が横たわり、
変貌
変貌
「変貌<mutation>それは私自身の変貌というよりは、私を通過する世界の変貌だ。そして私は、あの混沌とした潮の中に解体し、単なる通過点である「私」を通して真の私に変貌する」
私が変貌する以上に、世界が変貌した。世界は私の死など無関心、世界は沈黙、存在があるばかりと、私の死を現実のものと知ったとき世界は有、私は無という、世界が絶望以前の測り知れない異形世界となった。
本質
「本当は、実にわずかな捉えがたい本質的な事が、この人生には存続する。それを見きわめる必要がある。この名づけようもない、不透明な何ものか、ここに一切は帰着する。各々が、自己の奥深く、それを所有しているのだ。何れにしても、一切はこの見がたいもの、聴き分けがたいもの、の中にある」
人の本質とは、問う心、ものの原理や、構成への問いではなく、太陽が沈むのを見て、人の死を見て、自明と判断するのではなく、問い続ける意識、この意識だけが人をいつまでも人らしいものにする。
本質圏
「私の中に、原初感動に隈どられた風景と人間とがあり、それが私の経験の中核を構成しているように思われる。それを私は経験の本質圏と呼んでいる。それは意識の誕生とも結びついた不思議な圏である」
私の意識の誕生、私の本質圏、私の経験の本質、今の私を規定している。問い続け、問い続け、明らかとなった。意識の誕生が何時、どのようにして、それはどのようなものであり、と、問い続けた記憶が経験の本質であり、問い続けてきた先人達の営為が重なり、私は私という生身の現在を存在しているのだった。
母
母
「母を考えると頭が狂いそうに懐かしさでいっぱいになる。母を考えると、僕の悲しみの根源が深く母から流れ出しているのが判る」
母を考えると、私は遣り切れなさでいっぱいになる、父についても同じことが言えるのだが、私の一人という感覚は、実にこの父、母の不在から来ていると思える、父も母も孤独のうちに死んでいった。最後まで頼れる存在ではなかった私から消えるようにして。
不可知論
「フランス精神の本質的契機をなす不可知論的心性と意思決定の能力。この不可知論は、自己に対する根本的懐疑とすれすれのものであり、自分は間違っているかも知れない、ということを決して忘れない心性である」
かつて、無知から可知論を肯定していた、自分が何であるかも知らず、自己肯定していた。歳を経、自分や世界を知るに従い、不可知論と自己懐疑へと、
フォルム
「フォルムは全ての時間と空間とが、いいかえれば生が精神の光の下に収斂していく極限にほかならない。フォルムはしかじかの物体ではない精神の規律である」
探りたいものがあって、おぼろげに、しかし感じられ、解かっているものがあって、その時々に応じフォルムは様々に変容することはあるが、私であることへ向かっての生きた証である。